[コメント] 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
スクリーンの中に、自分とほぼ同年齢の「若者」達が、ライフル銃を持って雪原を歩いている。オーバーラップする死んだ「同志」たちの幻影。ともすればあまりにも安直なその演出は、大きな時代のうねりを「実録」という形容詞を伴って描ききることで、あまりにもダイナミックな感情として、僕の眼前に迫ってくる。
連合赤軍関係については、多くの著作が出ているし、映画もいくつか既に作られているので、若松孝二という映画監督が、今敢えて撮るのは、当たり前だが「実録」のためではないだろう。しかし、「実録」のためではないからこそ、「実録」である必然性がそこにあったのかもしれない。
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高校の頃、行き場の無い憤りと焦燥感をぶつける先が見えずに悶々としていた日々、その目の中に飛び込んできた3つの映像。どうしてそんな映像が、しかも3つ並んで目に入ってきたのか、今では覚えていないが、たまたまテレビに映し出された1969年の「安田講堂」、1970年の「三島由紀夫」、そして1972年の「あさま山荘」である。今思えば、この3つは思想的にはバラバラなのかもしれないが、「時代」という共通項に括ることが可能な、戦後史に残る大事件だ。多分、今、安田講堂に篭城する学生は居ないだろうし(それどころか、学費値上げや大学当局の横暴に対して「自治」を掲げる学生さえも殆ど居ないだろう)、著名な文化人が自衛隊総本部に乗り込んで割腹自殺をすることもないだろう。そして、従って当然のこととして、20代そこそこ(この映画でも描かれている加藤兄弟に至っては未成年)の若者が銃を手にして「警察権力」と戦うなどということは、恐らく殆ど無い。
だが、今現在を生きる我々が、この時代を指して「バカだ」「アホだ」「狂っている」と形容することが出来るとすれば、一方でこの現在が「狂っていない」ことを誰が証明するのだろうか。ふとそう思う。
終盤の山荘でのシーン。「死んだ同志のためにも最後まで闘って落とし前をつけよう」という言葉に対して、加藤少年の口を介して語られる言葉――。「今更落とし前なんかつけられるのかよ! 勇気が足りなかったんだ」。この言葉は、そのまま若松監督の言葉なのだろう。
(この映画で描かれた)連合赤軍の「総括」と全く同じ表現を敢えて用いるが、果たして今現在、当時共産革命に身を委ねて機動隊に石の一つでも投げたことのある人は、「東大闘争をどう総括するのだ?」。学生運動をどう総括するのだ?それが「勇気」であるなら、「あの頃は俺も若かったよ」なんて恥じらいも無く語るようなオトナは、未だに「勇気」を欠いたまま成長してきたのではないだろうか。「あの頃」を恥じらいも無く語るままオトナになり、この「資本主義」を完成させた世代は、本当に「勇気」があったのだろうか。
「勇気」を欠いていたのは、果たして連合赤軍だけなのか?
ここに描かれた「狂気」は、紛れも無く現代の、現代日本の「正気」ではないだろうか。「どう落とし前つけるんだよ!」と叫ぶ加藤少年の言葉は、そのまま森の自殺の「勇気」という言葉に、文脈を異にしながら、しかし直線的に繋がるのだろう。そしてそれは、2008年現在を生きる我々にも繋がってくる。「狂気」に対する「勇気」という叱咤――。
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やや話が脱線するが、連合赤軍事件は、あさま山荘の件よりも山岳ベースでのリンチ事件の方がどちらかというとその本質を見せている部分だと思っているのだが、そこで(この映画で)語られた「共産主義化」「革命的精神」という抽象的な観念を振りかざした「終わりなき暴力の循環」は、「思想」と「若さ」の最悪の結合様態であると思う。つまり、何か一つの絶対的なテーゼ(森恒夫と永田洋子)があり(居り)、それらが抽象的な観念で全体を支配する。従って、それに対する反論も服従も抽象的にならざるを得ず、決してそこから具体的な「答え」が導かれることは無い(あるとすれば、森と永田の「気分」(=現代的には「空気」と言うべきか?)によって左右される)。
だからこそ、「総括が終わっていない」という理由によって延々と暴力が振るわれるわけで、多分これは連合赤軍に限らずに、学生運動においても「プチブル」とか「スターリニズム」とか「トロッキズム」という風に使われていたものだと思う。それらを集約する概念は、常に「革命」という抽象的な観念でしかない。従って、あさま山荘事件終盤での、山荘管理人の女性が口にする単純な疑問(「革命って何?」)という「日和見主義」こそが、当たり前の答えである。残念ながら、それを口にする「勇気」を持つ者は、誰も居ないまま惨劇は繰り広げられたわけだが…。
このように抽象的に語られる革命とその実践が、若さという一方向のみのベクトルで生きる情熱を結合した最悪の結果がこの事件だったと理解すれば、若松孝二の言う「勇気」は、無理があったのではないかと思う。
「落とし前なんてどうつけるんだよ!」と加藤少年の口から吐かれた言葉の前で、連合赤軍の若者らは、一瞬立ち止まる。(そして、否応無く警察が踏み込んできて、結果的に闘うわけだが) 「落とし前」がもはやつけられなくなった所では、「勇気」という物は、もはや介入の余地を残さない。しかも、「若さ」によって偽装された「勇気」(=単なる愚鈍?)の前では、それらを抑止する「勇気」は、もはや機能不全を起こす。
従って、そこで取りうる方法は、敵前逃亡とか、自殺とか、そういうことでしかない。だから、結局のところ、走り出した「若さ」は、どこまで行っても「落とし前」をつけることなど不可能なのである。若松監督の総括は、正しい一方で、その「勇気」という抽象観念の無限性・恣意的解釈の可能性は、「革命的精神」とコインの裏表でしかない。それは、絶対的な正しさを持つと同時に、絶対的な狂気を招く残酷な観念に他ならない。(無論、だからこそ「勇気」という言葉でしか表現できないディレンマがあるだろうが)
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「若さ」と結合した政治実践ないしは思想は、偽装された「勇気」(革命精神)という言葉によって常に正当化され続けてる。若松孝二は、そこに「勇気」という言葉を被せる。森恒夫の自殺をオーバーラップさせながら。
僕は、森の語る「勇気」の文脈はともかくとしても、若松の語る「勇気」は正しい言葉だとは思う。
だけれど、じゃあ今現在を生きる僕らは、どう生きればいいのかが、その言葉によって余計にわからなくなる。69年を頂点とした学生運動を越えた今現在の「若者」が持つべき「勇気」とは、何なのか。或いは「勇気」をもてるのか。
持て余すほどの「若さ」や憤りは、一体どうすればいいのか。果たして「勇気」とは何なのか。大学が学費を値上げしても「卒業できればいいし」と笑って「生徒」を演じるだけの大学生をやり続けて、のうのうと戦後の繁栄を貪るだけの「若さ」は、果たして「勇気」なのか。「学問」よりも「勉強」「実学」を求めて大学4年間をただ「通り過ぎ」てサラリーマンになるのが「勇気」なのか。それとも、全速力で走り出していくことは本当に「勇気」なのか。その間をとって、時々冷静に振り返ることは、「若さ」の中で本当に可能なのか。
「若さ」という限りなく未熟な年代が「思想」という「革命的」な「勇気」と結合するのは、歴史が証明している(明治近代以後の高等教育の文化史に於いて、ディレッタンティズムが無かった時代は無いだろう)。学問への情熱は、「認識への情熱」だし、政治への情熱は、「革命への情熱」だろう。「若さ」は、いつだって「情熱」という「勇気」と結合して、そのベクトルは常に一方向だけを向いている。
そこに「勇気」という「総括」を加えるのは、(文字通り)「全て」が終わった時だけである。それは、自殺か、それとも貫徹か――。本当に「勇気」を持ち出せるのは、時間が経過した上での「総括」の時のみではないか(例えば、72年の事件から30年以上経過した「今」とか)。
「勇気」という言葉は、「若さ」に対してはあまりにも重い。重すぎる。
この映画の突きつける「勇気」の前で、僕はただ20代という年齢を持て余して、涙を流すことしか出来なかった。
若松孝二の突きつけた「勇気」という語は、僕にはあまりにも重い問いかけだ。
この「現在」という時代で、現在進行形で「勇気」を伴った形で「若」くあるためには、どうすればいいのだろうか。思想?革命?日和見?――それとも、自殺か。
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「そして私は諸君の情熱は信じます。これだけは信じます。ほかのものは一切信じないとしても、これだけは信じるということはわかっていただきたい。」
これは、1969年5月に東大教養学部900番教室で、「近代ゴリラ」が最後に残した言葉だ。
全ての「若さ」は複雑に絡み合いながら、歴史の中で普遍的にあり続け、そして現代でも、未だ総括されず亡霊としてこの街を彷徨っている。偽装された勇気を小脇に抱えたまま。そして、その末裔は、「若さ」と「勇気」を欠いたまま、<現在>を生きている。
若松孝二の叫びが、胸に響く。痛いほどに。
「みんな、勇気が無かったんだ!!!」
答えは見当たらない。だけど、その叫びだけは噛み締めなければならない。「若さ」を本質化するために。
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余談だが、あさま山荘の建築構造が実際のそれと全く異なるのは、若松監督の別荘を山荘と模して撮影に用いたからだろう。実際の山荘は、3階建てで、3階に玄関があるので、階段を駆け上がってくる機動隊を迎え撃つ、という描写は事実上無かっただろうと思う。(あ、でも階下から突入もしてたんでしたっけ?)
まぁ、それでも十分上手く撮影していて、本当に素晴らしいと思った。ここまでしてこの作品を完成させた若松監督の情熱は、今でも「あの頃」のままなのだろう。だから、否、だからこそ、監督の「勇気」という「総括」は、余計に心に響くのだ。
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