[コメント] エイリアン2(1986/米)
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エイリアンの生態はアリやハチのような社会性昆虫の生態にアナロジーが見出せる。戦闘タイプのエイリアンはその社会繁栄のために、孵化した幼生の宿主としてヒトを狩る。それは快楽のためにヒトを殺しお互い共食いしたりと一見情け無用の好戦的な野蛮な生き物に見えるけれどそうではない。それは戦闘アリのように本能的に種の繁栄のために狩るのだ。そしてその巣屈に待ち構える女王は卵を産み、それを育てる、育てのエイリアンもまた存在する。このようにエイリアンは役割を分業化した社会性生き物なのだ。
対してヒトはどうだろう。これに登場するヒトもまた個人というレベルを超えた本能的な生き物である。海兵隊はさておきリプリーの血縁関係を超えた母性本能。そして、社からエイリアンを持ち帰るために派遣されたバークの、保身を捨ててまで、すなわち身の感情を捨ててまでの会社への忠誠心。これもまた「会社」という一つの社会の繁栄のために「本能」的に働く一個体なのだ。それはあらかじめプログラムされたビショップと変わらない。
さて、このようにふまえれば、その本能的に生きる両者の姿から何を見出せようか。エイリアンは、リプリーがその神聖なる女王エイリアンの巣屈への進入を易々と許してしまうほどのアリ以下の阿呆だけれど、リプリーの卵総焼き払いジェノサイド、ヒト壊滅の危惧よりも会社の繁栄を優先するに端を発す内部分裂などを見るにつけてどちらがエゴで野蛮でえげつないかといわれると間違いなくヒトだ。このようにヒト同士の戦争でなくて種としてヒトが戦争に加わるといかにヒトがそのような生き物であるかが垣間見え興味深い。ただ、確かにヒトの悪いところばかり目立つかといえばそうではなく、少尉とバスケスの一殺多生精神あふれる最期の自爆シーンなど見入った。感きわまった。しかし、種のために犠牲になった戦闘エイリアンの堂々の死にっぷりもまた忘れてはならないだろう。そして私はむしろそのエイリアンのほうに健闘を称えたい。
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