[コメント] 隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS(2008/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
まず冒頭の「隠し砦の三悪人」という文字を見た時、私は激しくワクワクしました。今から始まる冒険活劇を想像させる、躍動感のある字面ですごく良かったです。
それから冒頭の金を掘らせるシーンでの「お前らはモグラだ!」っていう台詞は、オリジナル版で聞いた時とても面白いと思ったので、そのまま使われていてちょっと嬉しかったです。その台詞を聞いた時に、もしかしてあの大脱走のシーンも再現されるのでは…!ってものすごく胸が高鳴ったんですが、実際は・・・やっぱり、ね。なんていうのかな。映像に迫力を持たせようとする意気込みは伝わってくるんです。でも…意気込む方向が間違っているというのか、カメラが被写体に近すぎてごまかしを感じてしまったというのが事実です。迫力ってのは別に大写しだから感じられるものじゃないと思うんだけどなぁ。オリジナル版でもそうでしたが、実際遠くから眺めるように撮ったシーンに、空恐ろしい迫力を感じた事の方が多い気がするし。(そう思うと宮川一夫という人の偉大さを改めて思い知らされたという感じもします。)
そう言った意味で、雪姫(長澤まさみ)が馬で敵を追いかけるシーンも不要だったと思います。馬に乗れないのであれば、あえてそんなシーンを入れなくてもいいと思うし、下手にCGを使って見せられてもこっちは迫力を感じるどころかシラケてしまいます。また、同じく六郎太(阿部寛)の馬上での八双構えのシーンも…ちょっとね。雑誌に書いてあったのですが、阿部さんはこのシーンは必ず演りたかったから、脚本家にここだけは絶対カットしないで欲しいと頼んだそうです。きっと阿部さんはその為にひどく努力したのではないでしょうか。それがああいう形で仕上がってしまい、阿部さんも恐らく本意ではなかっただろうと思います。三船敏郎のあの最強ショットに勝てる物が仕上がる訳がないのは分かっているのだから、たとえ拙い真似事みたいになってしまったとしても、阿部さんの気持ちが溢れているような、そんなシーンにしてほしかったなぁ。
それから前にも書いた雪姫の馬上での弓シーン、あれが何故必要だったのかを考えてみると、雪姫が国を思う心を表現する一つの手段として用いられたんだと思います。そういったシーンはいくつもありました。行動で表現される時もあれば、台詞で表現されていたところもありました。ただ、私はそもそもこの設定自体不要だったと思います。現代に合わせたリメイクだというのは分かるし、そういったドラマ性を持たせた方が観客の反応も良いのかも知れませんが、やっぱり2時間前後の映画で、しかも活劇であるならなお更中途半端にそういった"雪姫の苦悩"なんてものは盛り込むべきじゃなかったと思います。
ただ、火祭りのシーンでの回想を交えた雪姫のアップは良かったかも。なんとなく古臭くてダサいんだけど、そういうダサさが欲しかった私としては、あのシーンは好きと言わざるを得ない。そんな火祭りのシーンは意外にもオリジナルより良かったかも。躍動感があって力強く、長澤まさみの案外イケるんじゃないかっていう美声と、松本潤の華麗なるターンも見れたし。・・・華麗なるターン!(分かったって)あの踊りのシーンはどうしても潤くんを凝視してしまった私ですが、案外ぐだぐだな踊りを披露していて、いつものキレのあるダンス封印か!?と思いきや、華麗にターン!ここは吹いちゃった私。多分しっかり観ていないと気づかないようなシーンなので、まさに潤オタの為だけに用意されたものだったのでしょう。小汚い装いで美しくターンをして見せた潤くん、さすが。・・・あーオタっぷりは封印してレビューに集中するつもりだったのにやっぱダメだった…(気を取り直して)でも金が見つかってしまう!っていう緊張感は感じられなかった火祭りのシーンでした。そこだけ残念。
雪姫の苦悩もそうですが、恋愛要素も本当に不要だと感じました。この要素を盛り込んだ為に生かしきれなかった要素が沢山あったように思います。たとえば六郎太という人物の魅力、これがまったく伝わってこなかった。オリジナルの方は百姓コンビにスポットをあててはいたものの、六郎太のピリっとした存在感は凄まじいものがありました。彼の存在があって、話に締まりが出ていました。しかしこちらの六郎太はどうしても添え物のような扱いを受けていたというか、彼の存在意義はあまり伝わってきませんでした。また関所を越える難関もなんともサラリとしたもので、本来なら六郎太の機転に観客が沸くところが、雪姫のお色気とか、鷹山刑部(椎名桔平)の冷徹さとか、違う方にもっていかれちゃってるのがなんだかなーという感じ。
話を戻して、この雪姫と武蔵の恋愛話はいかにもアイドル起用の原因を見た!って感じですごく嫌でした。特に武蔵が雪姫を「雪」と呼ぶところなど、当時ではありえないだろ!って常時心の中でツッコミを入れていた私。しかもそれまでナチュラルな演技を見せてくれていた松本潤もそういう系のシーンになると、途端にかっこつけちゃって演技が浮く。かっこつけんな潤!姫にそんな態度で接していたら普通に殺されるわ!ってイライラしてしまいました。そんな私もちょっとビックリしちゃったラスト。あの「裏切り御免」は意外性という面では良かった。まぁ、長澤まさみバージョンとあわせてこの言葉の使い方に関しては賛否両論あると思いますけど。私も「否」の気持ちですけど。(エンディングでKREVAに軽々しく連発されてもなぁ…という気持ちもあるし)
そして「自分がオリジナルを観た時にそうなったように、観終わった後は思わずスキップしたくなるような気持ちになってくれれば…」と潤が言っていたけど、秋月の民のくだりは別として、結構爽快な終わり方で、オリジナルとは違っていたけど、あれはあれで良かったかも。ただ、私的には「終」という文字で終わってほしかったなぁ。そうしたら本当にスキップして劇場を出たかもなぁ。
他に好きだなと感じたところは、ワイプでシーンを変えるところ。オリジナルでこのワイプの使い方がある意味斬新!と感じたので、今作にも受け継がれていたのが嬉しかったです。また、熊本県のロケーションは素晴らしかったなぁ。あとは新八(宮川大輔)に石を投げさせ敵を確認したり、「あばよ!」と言わせたり、ピストルが出てきたり、あごを触る六郎太など他の黒澤作品を彷彿とさせるシーンも盛り込まれていたし、鷹山刑部はダースベイダーかよ!って思わず笑っちゃったし、遊び心を感じる事が出来たのも良かったです。
逆にう〜ん…と感じたところは長澤まさみの姫っぷり。姫の所作が出来ておらず、着物で出て来たシーンも妙に猫背でオドオドしている風に見え、凛としたオーラも貫禄もありませんでした。
あと蛇足ですが、昔の時代劇を観ていると久世さんという殺陣の指導?をする方の名前をよく見ます。今回もエンドロールで確か「久世組」という文字を見た気がするんですが、調べてみたら色んな時代劇の殺陣をつけているんですね。またこれから時代劇を観る時はそこら辺も注意しながら観ていきたいなと思いました。
いい加減まとめないといけないですね。えー。全体的には☆3の出来なんですが、☆4にしたのはやっぱり!黒澤明はじめ、昔の邦画の素晴らしさに触れるきっかけを与えてくれた事に対して。本当は5点あげたいくらいの気持ち。それぐらいこの作品には感謝してるんです、私。ちっぽけながらも歩いてきた映画人生の転機をむかえる事が出来たのは本当にこの作品のおかげ。潤が主演していなかったら、今も数々の素晴らしい邦画を観る事がなかったんだと思うと、この奇跡に対して震えがきます。実際このリメイクが決まってから、レンタルビデオ屋でもオリジナル版は常にレンタル中になっていて私もなかなか借りられなかったし、置いてある本数も増えました。若い世代とは限りませんが、私のように、これを機にオリジナル版を観たという人はかなりいると思います。もうそれだけでこの作品の価値はあるんじゃないでしょうか。少なくとも私はこのリメイク、心底感謝しています。
封切後に「名作のリメイクというプレッシャーがあった」と思わずらしくない本音を吐いた潤くん、おつかれ!私は諸手を挙げてこの作品を肯定します!
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08.05.09 記
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