[コメント] ハプニング(2008/米)
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また、事の発端も、ついさっきまで普通に話していた相手との会話が巧く繋がらなくなる、という、コミュニケーションの齟齬によるもの。広域的な混乱が生じてからも、携帯が繋がらないとか、途中で停車した列車の乗務員が「誰とも連絡がつかないんです」と伝える台詞だとか、コミュニケーションの断絶が絶望感を煽る。更には、主人公の推測によれば、人が集団で居ること自体が危険となるのであり、結果、ますます人と人とは距離を隔て、断絶していくことになる。
車で道の四方から集まってきた人間たちが、互いに情報を交換し合うシーンや、エリオットが、関係がぎくしゃくしている妻との思い出の品として大事にしている物が、着けた人間の感情を示すという指輪であること、エリオット夫婦の、「死ぬ前に真実を伝えたい」という告白の交換など、コミュニケーションの貴重さを感じさせる場面は幾つもある。
「ハプニング」の原因と目されるのが植物である理由も、この主題に関連づけられる。ニューエージかぶれな老人の言う「植物は互いに情報を交換し合っている」という台詞がまさにそう。テレビのニュースに出演した学者の「植物は動けないから化学物質を放射する以外の自衛法が無い」という解説も、人間が、自ら動いて互いに集まったり離れたり出来ることとの対照として言及されていた筈だ。作り物の観葉植物に、それと知らずに話しかけるエリオットの姿は、滑稽な場面でもあるがまた、人間と植物の断絶を痛感させる場面でもある。人間は、自分たちが作った偽物と本物との区別さえ出来ないのだ。
工事現場で作業員がボトボトと墜落していくシーンにしても、単にその視覚的なショックだけを見るべきではない。その直前まで仲間と冗談を言い合っていた男が、墜落死した一人一人の名を口にして絶望してみせるその姿、つまり、それまで自明視していた関係性の断絶にこそ悲劇性がある。警官が自殺に使った拳銃が、一人、また一人と拾い上げられて自殺に用いられていく連鎖のシーンは、人間的な繋がりを喪失した人間たちが、死という究極的な断絶という一点でリレーを繋いでいくという倒錯性が戦慄的。
そうした一連の流れがあるからこそ、終盤、母屋と住居を声で繋ぐ通話管を通して、主人公夫婦が会話をする姿や、危険を冒してまで一緒にいようとする行動が、印象的なものとなる。この、彼らが最後に身を隠した家は、独り暮らしの老婆が自給自足し、外界の情報も一切拒絶して暮らす家。彼女の、他者の拒絶という態度が、その家に安全をもたらしているかに感じられたのだが、完全な孤独の内にいるかに思えたこの老婆が、ベッドの上に古びた人形を寝かせているのを主人公が発見した瞬間から、この家は安全な場所ではなくなる。またこれは、絶対の孤独の不可能性を感じさせる場面でもある。
エリオットの同僚である数学教師が、同じ車に乗っている少女が脅えるのを励まそうとして出題する、「一日ごとに二倍されたお金を君に渡していったとしたら、一カ月で幾らになると思う?」という数学問題は、一日一日を生き延びることの意義を言外に感じさせる。と同時にそこにもまた、「お金を渡す」という、これもまた一対一の関係性が内包されているのだ。
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