コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 闇の子供たち(2008/日)

地図で20cmのところに私が何か作用してしまっていることを省みる。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







本作で最も私に訴えてきたものは、「俺がそうさせているのだ」という主人公の自壊だ。

先日ミュージシャンの椎名林檎が、TVの対談番組で、育児休養を停め再び音楽活動に戻る際の話をしていた。曰く、出産・育児とは人間のクリエイティビティな仕事としては至上といってもいいものであり、他の何か(=音楽活動)をしながらすることなどとても考えられない、との思いで育児に没入していたのだが、そうやって社会と断絶するかのように生活をしているとき、ふとTVで911テロのニュース映像が飛び込んできた。それを見た時に、表現者である自分が社会と接点を断っていたことが、どこかでその事態に作用してしまったのではないか?そういう事態を停めさせられるような何か機会なり方法なりがなくはなかったか、語る術をもつ自分は語ろうとしなくてはいけないのではないかという考えを辿って復帰を思ったのだそうだ。

表現者としての強い矜持があるから、あの事件と自分をそうやって結びつけて考えられるのだな、と感心したのだが、本作は特に表現者ではない私にも、「世界の不幸に自分が作用してしまっている可能性」について考えさせてくれた。

タイで、生きている子供から臓器を抜き取る臓器移植手術が行われているという情報をつかんだ主人公の新聞記者南武は、「生贄として子供の命を奪うのはひどい」という思いから、その真相を突き止めようとする。違法な闇手術を希望する日本人の商社勤めの家族と、貧困から人身売買を行うタイの家族の対比。ジャーナリストとして内心上位のステータスにいるつもりで取材していけば、臓器移植の現状は法整備の問題などを背景に、当事者に深刻で苦渋の選択を強いている真摯なステージであり、いくばくかの快楽をむさぼってはいるが「俺は殺したりはしない」だから「マシだ」ということが詭弁で、自分のような幼児性愛者の楽しみのほうが遥かに忍耐可能であり、自分の行為を容認することが児童売買のマーケットを下支えしていることを思い知らされる。NGOの音羽恵子に、目先の問題ではなく社会の仕組みの問題を考えるべきだと諭すことで自己矛盾が抑えきれなくなっていく。

南武の性愛嗜好の設定を掘り下げない描き方は、元々性愛嗜好というのがその人の品格や識見といったものと関連付けられないくらい「説明のつかない」欲望であることを思わせてくれるし、またそれが明かされる唐突さについては、信頼をおいていた主人公と一緒に物語を追っていた観客に「思いもよらない人が関与している」という動揺を与え、ひいては「自分は清廉だ」という自意識も揺さぶられるというような演出の効果があったと思う。幼児性愛の嗜好というのはわかりやすい一つの例でしかなく、そもそもの生まれついての経済格差というものも、私が日本という国にいて何かひとつの欲望をかなえることと、何処の地の貧困と、全く無関係ではないだろう、ということも思い及んだ。

こういうと身も蓋もないが、幼児虐待を嗜好する人の大半は、はなから本作など見ないだろうから、本作での問題提起にとっては基本的に対象外だろうし、幼児虐待嗜好と無関係な人にこういう問題をつきつけて、悲しませているだけではしょうがないだろう。「表の社会」で本作を鑑賞できるような立場に生きているものとして、その自分なり人々がアンダーグランドに寄与しているというプロセスを思わせる。本作はそういう作りとして良くできていると思う。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (6 人)KEI[*] りかちゅ[*] movableinferno[*] moot ユキポン[*] ペペロンチーノ[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。