[コメント] ジェネラル・ルージュの凱旋(2009/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
いきなりものすごく個人的な余談から入りますが、今年の正月に田舎の婆さんが脳溢血で倒れまして、救急車で運び込まれたのがこの東城大学医学部付属病院、ならぬ、ロケ地となった埼玉医大のセンターだったんですね。婆さんはICUに入ったので、私も生まれて初めてICUというやつに立ち入りまして。そのときはもはや虫の息という感じで、意識も混濁しており、もう卆寿ですし、こりゃお迎えですなと、しみじみとした悲しみのなかで「ああ、ここ『バチスタ』のロケ地じゃん」と思ったことをよく憶えているわけです。
で、その後おかげさまで婆さんは目をみはるような回復を見せまして、指扇のリハセンに移って来月には退院する運びになっているんですが、今日ひさしぶりにお見舞いに行ったら、もうしゃべるしゃべる。とにかく早く嫁をもらえと、そして少しはダイエットをしろと、こってりとお説教を食らって東京に戻ってきて、ちょっと中途半端に時間が空いたものだから映画でも観ようかと思い、ちょうど良い時間だったのがこの『ジェネラル・ルージュの凱旋』だったんです。ロケ場所は前作同様、あの埼玉医大のセンター。私にとっては『チーム・バチスタの栄光』と本作の間に、この病院でかなりリアルな生死のドラマが挟まっているわけで。その「うちの婆さんの回復」というドラマを目の当たりにした数時間後に観たこの作品はやけに迫るものがありました。映画と私生活の境界線が曖昧なまま観てしまったというか。
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で、映画そのものの話。この映画はけっこう面白い。「2種類の告発文」を縦軸にしたミステリ要素のフリオチはたいへん美しく決まっているし、一方で「ドクター・ヘリ」や「トリアージ」といった医療分野を扱ったエンターテイメントとしても見ごたえがある。竹内結子は相変わらず美人だし、高島政信が放つ怪しい雰囲気もいい。山本太郎、阿部寛も堅実に自分の役割を果たしている。演出・編集も救急医療現場の緊迫感を十二分にかもし出している。そして言わずもがな、堺雅人はもはや風格さえ感じられる佇まいで客席を飲む。
それでも。
「報道のヘリは飛ぶのに、どうしてドクター・ヘリは飛ばないの!?」
このセリフを竹内が吐いた瞬間に、この映画は死んだと思うんだ。それを叫ぶべき人間は他にいる。10年、そのことだけを考え続けて苦しみながらたったひとりで戦いを続けてきた男が、この物語のなかにいたはずなんだ。
このセリフを速水センター長から奪ってしまったことで、堺雅人の演技は達するべき臨界点を失ってしまった。同時に、映画はテーマと爆発力を失ってしまった。
前作『チーム・バチスタの栄光』の原作には、映画化のオファーが殺到したという。結果的にTBSが竹内主演でそれを実現したことにより、映画は大きな予算と公開規模を得て、続編もつくられた。だから、これを単に“弊害”と呼ぶのは間違いなのかもしれないとも思う。そこそこ面白い映画ができたんだからそれでいいのかもしれないとも思う。「クライマックスは主役に」というその文法は、ある意味で当たり前のことなのかもしれないと思う。
だけど、あの竹内のセリフは、あれは演技だ。物語があのセリフを竹内に振る必然性は何もない。竹内にあれを言わせたのは、物語の外側にある力だ。
物語の魂が本当に叫んだとき、俳優の演技は演技を超えて私たちの心を揺さぶる。竹内結子が主役じゃなきゃ映画が成立しなかったと言うなら、この作品は生み落とされる前からもう魂を抜かれていたということだ。ジェネラル・ルージュは、ついに凱旋しなかった。
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