[コメント] グラン・トリノ(2008/米)
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「何の経験もないくせに!」
それを言われてしまっては、私たち若輩者はもうどうしようもないのだ。いま、エンドロールを見送った正直な感想を言えば、「稀代の傑作である」でも「優れた映像作品である」でもなく、「ぼく、クリントじいちゃんが好きかも」という、そんな素朴な想いに包まれている。
バックボーンはいかにもアメリカ的だけれど、この映画は決してアメリカ人だけのものではないし、そうしたマクロな視座で眺めるのがもったいなくなってしまうような、小さくて愛らしい作品だった。
だいたいが、あんな偏屈じいちゃんが身内にいたら鬱陶しいに決まっているのだ。完全にウザいのだ。何しろじいちゃんは、相手が黒だろうが白だろうが黄色だろうが、気に食わないヤツには平等に毒づいてくる。実の孫にだってお構いなしだ。じいちゃんにとって孫というのは「なんでこんなに 可愛いのかよ〜♪」というものだとばかり思ってたが、まったくそうじゃないらしい。
そんなじいちゃんが、よそ者の家に招かれてそこで「受け入れられない」ことに見せる戸惑い。誰でも言えそうな占い師の言葉にひどく刺されて狼狽した表情。シンプルな物語に乗せて、シンプルに伝えられる老いと淋しさ。前作『チェンジリング』で思いのままに神の手を振るったイーストウッドが、“引退作”でこんなに個人的で、こんなに実直な作品を撮ったことが、もう感動的で仕方がないのだ。ラストで彼の企みをわざわざ警官のセリフで説明させた演出なんて「なんだかんだ言っても理解されたいんだよぅ……」という、老人のボヤキが聞こえてきそうだった。
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80年も生きれば、アメリカ人だろうが誰だろうが多かれ少なかれ悔恨を抱えるに違いない。それでも。
「まったく最近の若いモンはなってない、オレたちの若いころはそうじゃなかった」
ながい人類の歴史のなかで、いったい何人のじいちゃんたちがそんなセリフを吐いてきただろう。そのセリフを吐けるときまで、私も明日を生きたいと願う。グラントリノは持っていないけれど、それまでに磨いておかなければならないものは、きっとたくさんあるはずだ。
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俳優の仕事が、己の人生をスクリーンのなかで証明することだとしたら。
いままで、映画のなかで何人ブッ殺したか知れない彼が、このラストを自ら選択したのだから。
クリント・イーストウッドはひとつ、この作品で仕事を終えたのだと、そう素直に受け止めたほうがいいのかもしれない。
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