[コメント] ウルトラミラクルラブストーリー(2009/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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いきなりの松山ケンイチの躁病的はしゃぎっぷりに、些か鬱陶しさを感じている間もなく彼が、麻生久美子という文字通り「頭」を失った男を追う女に対抗し、頭を自殺的行為により知的にするという未曾有の行為とともに彼女にプロポーズを繰り返すあたりから、このリアルな「田舎」はトリックスターの跋扈するディストピアと化す。
ともかくも「首なし男」の出現だ。彼はこの映画が「四角四面に見てはいけない世界」であることを明確に我々に提示する。この物語は民話である。「寓話」的な横顔すらも期待してはいけない民話である。松山は精神の冴えを求めて農薬を浴び続け、事実その効果とともに劇薬は彼の体を蝕み、しかし彼は心臓が停止しつつも死なない。いや、死んでいるのだが頭脳が死を拒んでいるのだ。そして麻生に頭脳のない男への恋からの乗換えを求める。このあたりは不気味かつ痛快である。松山はいわば神になりつつある男であり、自ら望まぬ限り死なないのだ。もちろんここでいう神とはGodではなく、アニミズムの中にある訳の判らないものを司る精霊のような存在だ。そして彼はクソリアリズムの世界にはありえない麻生よりの愛情を得て、有頂天になる。
ここにおいて、マツヤマ神の生殺与奪権はおのれ一人のものではなくなる。或いは麻生には予想できたかもしれない、熊の出没に備えるハンターの一撃によりあっけなく松山は死ぬ。松山はこの死を惜しまなかったろう。恋人となった女に捧げるべく用意された、おのれの脳味噌を彼女に捧げる神聖な儀式がここに完成されるからだ。そして麻生に託された松山の脳味噌は、現われた熊より身を守るために、実に「効果的に」使用されることになる。この最期は飽くまでコミカルだ。民話には得てして過度にグロテスクな描写が付き物だが、それを軽妙に処理した横浜聡子の才能はやはり天賦のものだろう。
などと深読みをしてしまうのも、やはり横浜監督にしてやられた思いからだ。これは飽くまで「ラブストーリー」と題された青森の小話だ。そこに神を見るのもバカを見るのも身勝手な解釈だ。メジャーデビューに際してこんな爆裂弾を叩き込んできた横浜は、結構それらを遠いところから眺め、嘲笑っているかもしれない。
全く、食えない監督がまた一人増えた。
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