[コメント] ディア・ドクター(2009/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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この映画には西川美和がちりばめた答えのない問が、これでもかというほど詰め込まれている。
僻地医療という困難な環境において、いささか当事者感覚の欠落した、開業医の息子である若い相馬(瑛太)の夢想に対して、伊野(笑福亭鶴瓶)は問う。ニセモノとは何か、ホンモノとは何か。つまりは、お前は、人の、あるいは出来事の「何」を信用するのか。そもそも、人は信じるに値するものなのかと。
一人の人間のなかに、悪意と善意は同居しているということ。伊野とともに、その体現者である薬品営業マン(香川照之)は、法の下に業務を遂行する刑事(松重豊)の善悪の尺度に、人の善意は無意識にほどこされることを自らの身体を呈して実証してみせる。では、人の善意は本能なのか。
伊野の正体を知った村人たちの間で、許される嘘と、許しがたい嘘の境界は、手のひらを返すように喪失する。では、密かに老人の死を待ちわびる一家や、かづ子(八千草薫)と娘(井川遥)の間にある想いや遠慮、さらに痴呆症とおぼしき元医者の父への伊野の悔悟といった、死期がせまった親という名の老人との間に交わされる嘘の成否の曖昧さは、誰によって許されるのか。
この作品で示されるのは、人間一人ひとりが抱える真実の多様性であり、法律ではもちろん、モラルでさへ対応しきれない心のありどころの問題だ。確かに近年(90年代の半ば以降だろうか)、白か黒かの二者択一を迫る世間の風潮が、判断基準の主流になっているように感じる。西川美和が提示する、心のなかの多様性を意識して、そろそろ自分自身や世間の曖昧さを見つめなおす時期かもしれない。
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