[コメント] いまを生きる(1989/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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のんびり自然をみせたりしながら、かなり余裕と余韻をとった作りをしているかに見えて、中身はハッキリ言ってかなり直線的且つ直情的、である。そんなにロコツではないにしろ、善人悪人キャラ分け的に生徒と学校&親の対立を見せてるし、最後の方には生徒のなかにも悪人っぽいヤツがでてきちゃってるし。
しかも船長も生徒に「信念を貫くこと(違う言い回しだったかな?)と慎重さとは表裏の関係」とか諭しときながら、慎重さに関してはちいとも教えようとしないし。エピソードもモノによっては消化不良で終わってるものもあるし。でも好きです。どこが好きかというと・・・。
洞窟での会合。初めのうちは下ネタに始まり、詩を読む姿もどこかたどたどしく見えたりするけど、会合を重ねるごとに詩など読まなくても、日常会話が自然と詩的な言い回しに変わってたりするところが良い。未熟ながらも綿のように何でも吸収してしまう。コレがあの年代の感受性なんだろうなぁ、と見ていて思わず顔がほころぶ。
生徒達の行動は、例えそれが自殺であろうと、どこか芝居がかったところがあったり、夢の延長みたいな実感のこもらないトコロがあったり。とにかく何をするにせよいつも性急。これもあの年代ならではだなぁ、と。
そして先生(=船長)。ステキなことを教えてくれる人であれど、人間的な面はほとんど描かれてない。一面的で、ヘタすると胡散臭いヒーローにもなりかねない。でも、それでも評価したいのは、学校を去らざるを得なくなってしまった時点で、あくまで異端な存在であることをコチラ側に見せていること。悲しいけどそこが信用できたりもする。机の上に生徒を登らせることが、せいいっぱいできる限りのポジティブな展開だったと思うし。金八先生と違うのはそこだと思う。
あのシリーズを見ていると、個性的なことしときながらあんまりにもやることなすこと成功しちゃってて、子供が起こす問題がまるで先生の素晴らしき手腕を証明するために用意されているような、ある種のいかがわしさを感じてしまう。けれどもこの映画に関しては、(教えに関しては、諸手を挙げては賛同しかねるが)幸い異端であるがゆえに胡散臭さは感じられなかった。考えてみれば、良いなぁって思った先生ほど、学校では異端な存在だったってこと、結構ありがちなんだよなぁ・・・。
ちっとばかし最後に余談。中学校の時に哲学科出身の社会科の先生がいたんですが、マジメに授業をすすめつつも、時折ボソっと一見的外れっぽいながらも恐ろしく鋭い指摘をする人で、結構お気に入りの先生だったワケです。でもあるとき突然「四国へ旅行する」と言って学校を休んだっきり、消息を絶ってしまって、以来ナシのつぶて(少なくとも生徒の間では)。一体今ごろどうしているんだろうか・・・。やっつけ仕事ながらも、結構良い点数がとれたテストの答案の余白に、赤ペンで書かれた文句を今でも時々思い出します。「オマエのダルマの目はいつ開くのかな?」(多分本気で何もやってないって忠告だと思うんですが)。ある意味コワい先生でした。
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