[コメント] 私は二歳(1962/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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子どもの心象をナレーションで表現するということについて、これは確かに諸刃の剣だとは思うが、私見ではこの映画においてはひとつの効果を上げていると思った。
母親、父親、子どもというミニマムな共同体社会において、この三者を図式化するなら、父を頂点とした父権社会(小津的)、母を頂いた母性社会(しばしば父性の不在を伴う=溝口的)、妻と夫が対等で、その下に子がいるという世代社会(成瀬的)、といったバリエーションが考えられる。
この映画においては、子どもは父母の意思とはまったく別の思考をし得る、つまりは別の人格を持つ「小さな大人」なのである、という主張を感じた。確かにある場面では子どもの無邪気さを大人の論理で断定する恣意的な企みもあるのだが(ベビーサークルから出たいよう、みたいな)、一方では、具合が悪くて昼間寝ていたから夜は目が冴えちゃってるんだ、というリアリティに溢れた告白もある。子どもの心の中を正確に伝えることが問題なのではなく、ナレーションで語らせるという表現上の決定事項に注目したい。
主題である一歳から二歳へ生きる子どももまた、父や母たちと同じ扱いをされている、三者並立の人間関係を形成することによって、いわゆる「運動会でホームビデオを回す父兄」のようなベタベタした内輪ネタに陥らず、映画として観賞に耐え得る客観的視点を獲得しているのではないかと思った。
(と同時に、山本富士子の美しい主婦姿を堪能する楽しみもまた否定しないのだ。)
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