[コメント] アバター(2009/米)
「3D映像=飛び出す映像」だと刷り込まれている私にとって、「奥行き」重視の「飛び出さない3D映像」は好感だった。確かに屋外シーンでの高低差や森林の奥深さの臨場感には感心した。しかし、いくつかの屋内シーンでは手前と奥の人物の距離が妙に強調されすぎ、かえって不自然な印象を受けた。
もっとも広義において、映画にとって不自然な表現というのが、まずいかと言うとそうではない。白黒映像はレンズや照明の発達、現像技術の進歩により階調やコントラストという表現の幅を手に入れ、現在のカラー映像にしても総天然色と呼ばれた時代から格段の進歩をとげ、今や撮ることにプラスしてCGで描くという加工が常態化している。
これらの技術は、始めはより肉眼に近い外面の見栄えを再現することを主眼としてスタートし、やがて物語の登場人物の思想や心情、あるいは状況や感情といった内面の表現手段として活用されはじめるという歴史をたどる。そこにあるのは、もはや自然さではなく、日常性を揺さぶるために作家が仕組んだ不自然さであり、それこそがデフォルメされた映画的仕掛けだ。
今回の3D技術は、まだ残念ながら見栄えのための技術の域だった。見た目の外面的「奥行き」だけでなく、映画の内面へと押し入って映画的「奥行き」を表現するための3D映像。この先、技術の進歩と作家の野心が、そんな表現を獲得するときがくるのだろうか。私はかなり懐疑的であるのだが。
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3Dでは早い動きが見にくい、とのご指摘を読み安心しました。よかった。てっきり、自分の動体視力が衰えたからだと思ってました。
私は字幕を読むのが苦痛でした。一回ごとに、どこに字幕が出るのか確認しながらの二時間半越えはきつい。観終わった後の疲労感は、おそらくこのモグラたたき状態の字幕のせいだと思います。
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