[コメント] 第9地区(2009/米=ニュージーランド)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
脚本の荒い部分を勢いで押しちゃっているのがけっこう見え見えで、活劇としてはむしろ一本調子かつ、SF設定もよくよく考えたら古めかしいのですが、とにかくスラムや難民キャンプというモチーフを内包した世界観(これも今や使い古されつつあるアフリカとかのアレではあるんですが……)のリアリティーで引っぱられます。あと、考えさせられます。
SF映画は、けっこう投げっぱなしで良い気がするんです――そういう暗喩とかに無理に結論とか出さないで。
たとえば、この物語、決定的にぼやけていることがひとつあって、それは主人公が何でエイリアンに味方する気になったのかということなんですが、正義感に目覚めたから? 彼らを行かさないと自分が元にもどれないから? それとも、エイリアンのことを思いやったから? どれかなんだと思いますが、どれなのかわかんないのは、心情変化のきっかけがあまり明確に描かれていないからです。
ただ、これも、これで良い気がするんだよなあ。
個人的に、この題材の映画やニュースやドキュメンタリーなんかを見ていつも覚えるのは、「手の施しようがねえ…」という、何というか、人間の性というか、人類の業に対する絶望感と虚脱感なんですが、たまにブラウン管ごしに目にするだけの俺ごとき以上に現地の人たちは思い知っているはずなのに、どうして最後は人間の善行を描いて終わる気になるのかなあなんて、今回ふと疑問をいだいたんですが…
ひょっとして、それは希望じゃないのかもしれないなあ。
ギャングも武器商人も傭兵も、人間というよりは、地上でもっとも愚かな力を持ってしまった食物連鎖の一角であって、そんな連中が支配するなかで生き延びるには自分も心を殺さなきゃならないのが現実なのに、そこで心を説いてどうなる?
もしかしたら、その大切さを説きたいのではなくて、むしろ哀しんでいるのではないか?
どこまでも身勝手で残酷になれるくせに、時として心を思い出してしまう。我が身の無力を忘れて――それを人の哀しさとして活写しているだけなんじゃないか。
化け物たちのなかに自分と同じ痛みを見つけ彼らを思う心をつちかったとき、人の皮を失っていた。三年後に彼は帰ってくるのかも知れないし、帰ってこないのかも知れない――そんなことは誰にもわからない。なぜなら彼も自分と同じ一個の無力で不確実な存在にすぎないのだから。熱と埃にかすむ景色のなかで哀しいアイロニーを歌うラストカットに、そんなことを想うことができた映画でした。
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