[コメント] 17歳の肖像(2009/英)
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ピーター・サースガードが屈折した鼻持ちならぬ俗物で、オリヴィア・ウィリアムズこそが最も正しく誠実であるなんていうことは初手から明らかであり(そういうキャスティング=顔面選択である)、結局のところこの物語は一〇〇分間を使ってそれを確認しているにすぎない。そのルックスの魅力を認めるにはやぶさかでないにしても、キャリー・マリガンが周囲を慮れない性格の「世界は自分を中心に回っている」系自己中心少女であることについては最後まで成長を認められない。いたずらに世の処し方ばかりを学習したがゆえ、よりタチが悪くなっているとさえ云ってもよい。われらがウィリアムズも優しすぎた。マリガンにはビンタの一発でも喰らわせなくてはならなかったところだ。
と、こうも私が憤る理由は、マリガンの同級男子マシュー・ビアードの扱いにある。作中で最も無害で、憎めない、愛すべき人物である彼をコケにしたまま終幕してよい法はない。ラストのモノローグではマリガンが「新しい彼氏」にも同様の態度であることが明らかにされる。「余はうぬらとは違う。なんとなればアダルトでハイカルチュアな世界に親しんでいるから」とでも云うのか。率直にザケンナと思う。要するにマリガンは阿呆だということだけれども、どうも映画はそう考えていないらしいところが気に入らない。物語が原作者の自伝に基づくものと聞けば、これもあるいはその原作者の自己愛が露呈した造型かとも思うが、演出家もまたそれに無自覚に追従してしまっている。もしそうでないのならば、結末部にはもっともっと苦みを出さなくてはならない。
もちろん、当時の英国が早熟な若者には退屈な世界だったらしいことを考慮に入れなくては不公平な見方になるだろうし、悪くないシーンをそれなりに挙げていくこともできる。しかしながら、サースガードとドミニク・クーパーの犯罪的生業をじゅうぶんにサスペンスに貢献させなかったり、またダンスシーンの描き方に執着がないところなどを見ても、所詮これはアメリカ映画ではないのだと思わずにはいられない。
こうして私のアメリカ映画主義は一段と強固にさせられるのでした。
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