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[コメント] ヒーローショー(2010/日)

「孤族の国」の物語。肥大化しながら行き場を失った自意識の掃きだめで、一瞬暴発する「俺を見ろ!」という叫びの矛先の狂いが人生を殺す。夢とその残骸が氾濫し、つながりの方法を様々に獲得しながらつながりが崩壊している、これはまことに現代日本的なテーゼである。極めて不愉快だが実にリアル。この無為な暴力連鎖物語は対岸の火事ではない。私たちは覚悟を問われている。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







存在を認識されないこと、もしくは認識されてもそれが「偽物」であることへの苛立ちが「孤独感」の諸相だとして、「生活のためにヒーローコスチュームに身を包む自意識過剰の売れないお笑い芸人」が他者への自己顕示・力の発露の原始的かつ最終的形態とも言える「暴力」をステージ上で爆発させる序盤のシークエンスが広範囲に訴える説得力とリアリズムを持っており、ここから派生してどん詰まりの青春達に襲いかかる「終演(終焉)」は猛烈に痛い。ささやかな「つながり」すら、いわゆる愚連隊の「ダチ」の間での連帯感すら崩壊している閉塞感。暴力の主体達も、見た目とは裏腹に不良のお遊びを超えた超暴力を目の当たりにしておののく様や素朴な夢語り、派手派手しい服装に「自分を見て欲しくてたまらない」、しかし見てもらうための方法に対する無知と無力に苛立つ「繊細なこども」であることを露呈し、しかも彼らが血の海に溺れ幼い夢すら見ることを許さない展開は苛烈極まる。

容赦ない。孤独や満たされない思いの裏返しとしての饒舌な暴力描写も極めて効果的。孤独と暴力の関係性を青春の焦燥を絡めて描いたものとしては極めて秀逸だと思う。楽天的表現ゼロの追い詰められた井筒演出。この危機感に私は覚悟を問われているような気がした。社会という外的なものに対してというより、社会へ向かう自我の「在り様」への覚悟。

「命」を無駄にするな。

これは井筒の一種の折檻だ。この厳しい折檻に耐えて人生を突破するのか、諦めて埋没するのか。「折り合い」をつけることは果たして「諦め」なのか、それでいいのか。「諦める」ことは悪いことなのか、その言葉は正しいのか。「本物」、「偽物」、その言葉に意味はあるのか。何がカッコ悪くて何がカッコいいのか。その言説すら嘘ではないのか。それが嘘で悪いのか。その迷いの中であがいてもいい。それでも、この空騒ぎは絶対に無駄である。「命」だけは絶対に無駄にするな。

提示された選択肢は見慣れたものだが、その苛烈なリアリズム、呵責のなさがこの作品を比類なきものにしている。井筒の魂の折檻。秀作。二度と観たくないけど。

(評価:★4)

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