[コメント] 春との旅(2009/日)
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冒頭で大仰かつ派手な演技で頑固爺ぶりを発揮していた忠男が怒気を和らげて、飄々とした惚けた会話を続けるシークェンスでは、演じる仲代達矢による、力瘤の入った押しつけがましい「熱演」からの解放感も相俟って、途端にこの老人への寛容さに目覚めさせられてしまう。彼に対する春(徳永えり)のぞんざいな扱いに幾分か腹を立てさえしてしまうのだが、忠男の我侭さが露わになるにつれてまた感情の揺れ戻しが起こる。この、相容れ難い感情に左右に揺すぶられることで、春のもどかしい思いにこちらも付き合うことになる。
主演二人の「熱演」が多くの場合、画面からはみ出すオーバーアクトとなって作品の構築性を悪い意味で乱してしまうのが惜しまれるが、一つ一つのショットの力で丁寧さに映画を構築していく手腕には好感を抱く。特に、春と父の再会シーン。彼と二人きりにされた春が、強ばった表情で突っ立っている背後で父は、春と同じ赤色のジャケットを脱ぎ、壁の向こうに姿を半ば隠してしまう。この、一個のショット内で同居しながらも断絶している二人の関係性。父を演じた香川照之は、ただ居るだけでも妙な電磁波のようなオーラを発散してしまうので、極端に台詞が無いくらいでちょうどいいとさえ言える。
一方、この父の再婚相手である戸田菜穂は、片耳が聞こえないというハンデによって、足を悪くしている忠男との親近性が示されることや、父親がいなかったことで、忠男にその代わりを求めることなど、ご都合主義にすぎる。
「春」という名には、やがてまた巡ってくる新生の季節への思いが託されていたのだろう。故に忠男は、春との安住の地に辿り着くことなく、列車の中で倒れる。寄り添う存在としての春がいたという、そのことによって満たされ、それ以上の重荷を彼女に背負わせることは拒むかのように。冒頭で忠男は、足が悪いくせに杖を投げ出していた。自らの足で立つことを望みながら、そのせいで却って春に依存してしまう忠男。これは、漁師としての矜持に固執したせいで、結局は兄弟に依存せざるをえなくなる彼の経歴、その人格が初っ端から暗示されていたと言える。
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