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[コメント] 春との旅(2009/日)

ずるずると引きずられる忠男(仲代達矢)の不自由な足が頑固さの果ての甘えを正当化する代替物なら、ずかずかと突進するような春(徳永えり)のモンキーウォークは、自らの身に降りかかった数々の理不尽さを振り切ろうとする抵抗の証しのように見える。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







小林政広にしては、ずいぶんと「芝居」が目につく映画だ。仲代達矢の相変わらずの「渾身の芝居」が中心に据えられているのだからしかたないのだが、私はこの「眉毛ひくひく、頬ぴくぴく」的芝居が苦手だ。こと細かに仲代の芝居をあげつらうと、本題から外れそうなので今回はやめておく。ただやはり私は、これ見よがしにカップ酒を飲み干す得意げな仲代の一人芝居よりも、背中と一升瓶だけで境遇とそこへと至った人生を彷彿とさせる小林薫の芝居の方が好きだ、とだけ書いておく。

男(ジジイ)どもの甘えに対して、その我がままに耐え忍び、あるいはしなやかに許容する女たちの健気さや気丈さが印象的だった。これはやはり女たちの、そして春(徳永えり)が小娘から女へと一歩踏み出す映画なのだ。

限られた余生をまえに、豪邸を追われた老夫(大滝秀治)にしがみつくように、あるいは幼児を守るかのように寄り添うしかすべのない老妻(菅井きん)の悲壮。「義理堅い」だけがとりえの男に惚れて、義理のひとつもかけられずに、待つことと生活することの境界が曖昧になった女(田中裕子)は、欠かさず義兄に年賀状を送り続けることで、自らも意識せずに男の義理を代弁する。

自らの手で境遇を切り開いてきた旅館の老女将(淡島千景)は、薄情なほどきっぱりと男の甘えを切り捨てる。その一方で春(徳永えり)に向ける合理的な救いの手は、愛情や人情というよりは信念の証しだろう。一方、バブルの名残の色香を滲ませる不動産屋の妻(美保純)は、義兄を罵倒することでしか過去の憂さを晴らせない夫(柄本明)に「男」を見い出し、いまだに落ちぶれた夫を見捨てない女の意地を漂わせる。

そして、忠男(仲代達矢)にいささか唐突な提案をする信子(戸田菜穂)だが、母子家庭育ちという境遇であり、彼女の片方の耳が聴こえないという原因を想像してみると、生まれつきや病のためという以外に暴力という理由も容易に思い浮かぶ。そんな信子の唐突な提案と春(徳永えり)への寛容には、彼女の安寧への無条件の祈りが込められているのだ、と言いきってしまうのは深読みのし過ぎだろうか。

理不尽にも抱え込んだ父と母の破綻というわだかまりを振り切るかのように、春(徳永えり)はがにまたでずかずかと歩く。春は女たちの間をずかずかと歩き回り、「自分のことしか考えない人」の傲慢さに気づき、父や母の葛藤に「自分のことしか考えない人」の悲哀をみた。カタチはどうあれ「ずっと寄り添うこと」の意味に気づいたとき、世間知らずの小娘は女へと一歩踏み出したのだ。そして、春は相変わらずのモンキーウォークで、人生の理不尽さやわだかまりを、ずかずかと蹴散らし始めることだろう。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (6 人)煽尼采[*] プロデューサーX 水那岐[*] けにろん[*] 3819695[*] セント[*]

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