[コメント] タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密(2011/米)
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自らの欲望にますます忠実なスティーヴン・スピルバーグは、一応は原作が世界的に広く知られているということを口実にしているのか、キャラクタに厚みをもたらすような配慮をいっさい払わない(かと云って「記号的なキャラクタ」というのともちょっと違う)。これまでもそうしてきたように隙あらば女優抜きで映画を作ろうとして、ここでは「タンタンのアニメーションなら綺麗どころを無理繰りねじ込む必要もなかろうて」とばかりに、タンタンと同じアパートメントに住む小母さんと兵器的な歌手がかろうじて女性として登場するのみだ。そしてアクション・シークェンスの構築に全精力を注ぎ込んでいる。
スピルバーグのフィルモグラフィ上で傑出したアクション演出を認めることができる作品は『シンドラーのリスト』『宇宙戦争』『ミュンヘン』の三作のみであるというのが私の認識だったけれども、彼自身もこれまでのほとんどのアクション・シーンの仕上がりには頭に思い描いていたものとの落差を感じていたのではないだろうか。ここで今まで以上の純度で画面に反映されているだろうスピルバーグの頭の中、その演算処理能力はやはり桁違いだった。羊皮紙争奪戦が繰り広げられる路地チェイスなんてどうすれば構想できるのだろう。タンタン・白犬・船長・ハヤブサ・サッカリン一味の五組が地上と空中を同時かつ個別に高速移動し、可動性の制約から解き放たれたカメラ・アイがそれを追って、比喩でも誇張でもなしに「いまだかつてない画面」を展開しつづける。2D版・3D版ともに見たけれども、どちらの場合も私は馬鹿みたいに口をあんぐり開けて圧倒されることしかできなかった。
船長とサッカリンがクレーンでどつき合うシーンにもまた唖然とするほかない。重機械を「身体の延長」と見なして設計されたアクションは『トランスフォーマー』シリーズよりも遥かに正しく日本産ロボアニメの精神に近しいだろう。操縦室から降り立って生身の剣劇を演じるに至っては『機動戦士ガンダム』最終話の趣きである。
フィルム主義者であるはずのスピルバーグにこのようなモーション・キャプチャのディジタル・アニメーションを作ることに対する躊躇いが見受けられないのは、「アニメーション」も「モーション・キャプチャ」も、さらには「3D」も、結局のところ表現の「方法」に属するものでしかないからだろう。問題はあくまでも表現の「対象」であって、方法ではない。ここで表現の対象とは、云うまでもなく「アクション=身体運動」である。そして、その身体運動の主体たる資格は種を問わず全キャラクタに等しく与えられている。思い返せば、冒険の幕を開ける契機は「たかが」犬ねこの追いかけっこではなかったか。
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