[コメント] ビルマの竪琴(総集編)(1956/日)
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語弊があるかと思いますが、私は山に登った時や、公園、道ばたにゴミがあると「来た時よりも美しく」の精神から拾ってちゃんと処理する方なので水島上等兵の選んだ道に強く共感。荒れた景色を見て、誰かが歯止めを利かすだろうといってその場を逃れようといった考えでは何処かで破綻をきたし、この世は荒れ放題となり人間を憎むべき存在としか受け止められなくなる。そして自分をも憎んで自己嫌悪に陥る。その憎むシステムをクラッシュさせる為に自己犠牲でもってそれを行う事を毎回私は選んでいる。違うかも知れないが私は水島上等兵も、自分が行う事で戦争の後の虚しさとやり切れない気持ちと憎むシステムを少しでも破壊して少しでも良き姿に戻したかったのだと思う。
はじめ水島上等兵は仲間の元に帰り日本に無事帰国したいがために、がむしゃらに歩いた。その途中、横たわる日本兵の姿を見て数人を埋葬に踏み切るが、全ての人々を埋葬出来ないまま先を急いだ。その事が水島上等兵に倫理観、生死観、日本人としての一人の人間に重くのしかかって決断した答えが、ビルマに散った花を土にもどす事だった。
確かに、はじめは助けてもらった僧侶の僧衣を盗み、地元僧侶になりすまし仲間の所にいくつもりで、助かるためにした事で決して自分が散っていった魂を鎮めるために本格的に道を究めようとしていなかったと思う。私の場合は、若い時分はツバを路上に平気で吐き、ゴミも誰かが拾うだろし別に自分一人がこうして捨てても害はないだろうと思っていた。しかし人間成長すると視野が広がるもので、自分の為だけにはエネルギーを使わなくなる。人を喜ばせる為や、助ける為にエネルギーを使う。そして人を傷つける事にエネルギーを使わなくなる。その事に気づいた水島上等兵の仲間と日本にいる家族に別れを告げる最後の竪琴の響きは本当に力強く素晴らしかった…
この映画は、人が見ない方がいい事を見てしまった時、それを遠ざけて自分との関係性を打ち消そうと無意識で行う事に対しての問題提起映画だと思う。我々は先人達の「尊い命」を張って教えてくれた事実を無駄にしてはいけない。そして我々は一部の人間だけ有益であるが9割9分の人間には無益な争いから早く脱却しなければ行けない。21世紀は二度と「あかい土とあかい岩」にしないという決意を胸に反戦と平和を支持しよう。もう十分血は流れた。2002,5,6
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