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[コメント] リンカーン(2012/米)

もっとスペクタクルシーンが登場し、それを描いた「リンカーン」も観たかったのだが、「政治家リンカーン」像に焦点をあてた構成が結果的には良かった。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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日本人の私にはピンとこないが、おそらく米国人なら馴染みのあるあのエピソード、このエピソードと盛り込んだ日には、ディスカバリーチャンネルの歴史番組のようにしかならないことは自明のことであり、これが長く映画化されないでいたこの人物の映画化実現のひとつの解決策だったのだろう。たとえば、坂本龍馬を映画で描くとしたらどうするかと考えれば、製作者たちがどういう思考をたどってこういう結論にたどりついたかわかる気がする。

それにしてもゲティスバーグではなく、合衆国憲法の修正奴隷制議案の下院採決にのみ絞るという構成は大胆すぎる。ここを描くことで良しとした思考には製作者たちの議論の成熟を感じる。

政治家は、来るべき未来の理想を語れなければ、社会を作るという職務において無用だし、それを現実の障害を乗り越えて現出できる方法を持たなければ、ただの夢想家か評論家でしかない。それは「理想論に過ぎない」と言われるような理想と、それを推し進める算術、崇高な目的のためにどこまで「汚い手」を使うのかを判断する識見、それを自問自答する知性、周囲を納得させる適切な喩え、感興を呼び起こすスピーチの技術、状況を見極めるバランス感覚など・・・という良い意味での本当の「政治力」を有した魅力的な政治家。製作者たちがもっとも表現したかった、伝説の偉人ではなく一人の理想的な政治家の姿というテーマは的確に充分に描けていたと思う。

テーマが定まりぶれずに正しく表現することで方法は良しとして、問題はそれで映画として面白いかということになるのだが、これはもうダニエル・デイ・ルイスの芝居の魅力ということにほぼ尽きる(票工作のかけひきの面白さもというのもあるが、基本的に裏工作であり、前面に出てこられて気持ちのいいものではないだろう)。『カポーティ』でのフィリップ・シーモア・ホフマンの芝居を見て、カポーティを見たことがないのに、つい私は「本物そっくり」とか思ってしまったように、本物を知るはずがないのに、それはそうとしかありえない、という人物の造型というのは演劇的な娯楽の本質の一つなのだろう。『タクシードライバー』のトラビスとか、『ゴッドファーザー』のドン・コルレオーネとか、『用心棒』の三十郎とか、みんなまぎれもない「本物」であり、もうその人物に触れることが楽しいのだから。

より理想な平等論をとなえるスティーブンス議員を説得する際の、「足元をみずに泥沼に足を踏み込んでまっすぐ歩くだけなら磁石は真北を指している意味がない(迂回するためにこそ真北の位置を知っている意味がある)」という方位磁石の喩え、「民主主義はカオスではない、目には見えないがみなが良い社会のありかたへもっていこうという考えを共有できるのだ」というような熟考された信念、「多くの父親は言いたくても息子にこう命令できなかった、それは≪私は合衆国総司令官だ≫」とか、魅力的な台詞(字句は正確ではありませんが)がもうまさしくリンカーンとしてしか思えない人物から語られ、ほんとうにこんなことを言われたらその魅力にまいってしまうだろうと思う。この映画の魅力はまさにリンカーンという人物の魅力だけでもっている。良いのか悪いのか、スピルバーグがこういう映画を撮るとは思わなかった。

(評価:★4)

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