[コメント] そして父になる(2013/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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非常に完成度の高い映画で、取り違えを伝えられるまでの不穏な空気感、伝えられてからの喉に小骨が刺さったような違和感。実に巧みに観客を誘導する。完璧に画面を制御してる。
最近の是枝は「父と息子の微妙な関係」を好んでモチーフにする。 『歩いても 歩いても』の阿部寛と原田芳雄。テレビドラマ「ゴーイング マイ ホーム」の阿部寛と夏八木勲。『歩いても 歩いても』では阿部寛と結婚相手の連れ子との関係もある。いずれにせよ是枝の視線は、本作と同様、阿部寛(本作なら福山雅治)のポジションで、自分から見た父、自分から見た息子、と上下の父子の距離感を描こうとする。 原田芳雄や夏八木勲を用いた「是枝の父親像」はいずれもキャラクター造形が似ていることから、おそらく是枝自身の父親もこういう人だったのだろう。余計なことを言うなら、俺の父親もソックリだ。つまり俺は福山雅治というわけだ。ワハハハ。
是枝の描く「父と息子」の距離感を、その範囲を「親子」まで広げて見てみると、『奇跡』や『誰も知らない』も対象になる。これを「人間関係」あるいは「愛情」という括りにすると、是枝映画のほとんどが当てはまる。 是枝は「愛情の距離感」を描く作家なのかもしれない。是枝映画の登場人物は、「欠けた愛情の破片=愛情の欠片(かけら)」を探し続ける人々なのかもしれない(ただし、積極的に行動するわけではない)。
しかしこの映画、自分でも★3は低評価すぎると思うのだが、これは私の中での相対的な比較によるものだ。 期待が高すぎたということもあるが、直前にCSで再鑑賞してしまった『歩いても 歩いても』がどうしても頭をよぎる。 あの映画は、もっと多面的で、いろんな切り取り方、読み解き方が可能だった。先に書いた父子の関係はほんの1エピソードにすぎず、もっと大きな物語の中の一つの要素だった。
だが、今回は違う。 2つの家族とそれぞれの子供達を出しながら、視点は福山雅治一人に集約される。 私が観ていて最も痛かったのは尾野真千子を巡るエピソードだが、それよりも福山雅治の感情の流れを重視する。いやまあ『そして父になる』ってタイトルだから当然なんだけどね。
その結果(そればかりが要因ではないが)、この映画は「負けを知らない男が負けを知る物語」に見えてしまう。言い換えれば「負けを知って人の心を知る男の物語」。 つまり、「親子の欠片」は本筋ではなく、今まで同様一つのモチーフに過ぎず、個人の物語に帰結した(してしまった)ように私には見えたんだな。 「一人の男が愛の欠片を見つけるまでの物語」と言ってもいい。
ま、そうした切り口も悪くないんだが、最初の風呂敷が大きかった割に小さく畳み過ぎたなぁ、という気がしちゃったんですよ。
(2013.10.05 ユナイテッド・シネマとしまえんにて鑑賞)
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