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[コメント] もらとりあむタマ子(2013/日)

世間に折り合いをつける父娘二人の共犯関係
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







父は娘を就職させようとするが娘はどうでもいいと思っている(アイドルの応募は就活とは云わないだろう)、娘は父を再婚させようとするが父はどうでもいいと思っている、という世界。一瞬、この共犯関係が露呈する場面があり、それは石油ストーブのジャンケンなのだが、その他では深く静かに隠匿され続ける。

この作品、作者の視点は父親にある。精緻な調理と商店のファックスで世界と繋がっている康すおん。親戚はタマ子より彼を心配している。自分と世界との違和を笑いで繋ぐ山下=向井のリアリズム、「訳の判らない自分」の見事な達成である。正に酔生夢死、結婚しようがどうしようがこの親父、自分と世界の乖離をどうしようもなく老いてゆくだろう。

物語としては、この父親の子離れを見守る娘が決め込んだ三年寝太郎、というところに納まる構造がある。仁君のバッシュー選びから元妻との連絡に至るまで、父親はタマ子にフォローされ続けているのが、徐々に判ってくる仕掛けになっており、タマ子の眼鏡にかなった女性との再婚を予感させつつ物語は終わる。しかし、こういう鳥瞰図は面白くない。

面白いのは無理矢理に物語を推し進めるタマ子の造形に、鳥瞰図をはみ出る強度があるからだ。彼女は作者にとって全くの他者として描かれる。ひと昔前の小学生は『クレヨンしんちゃん』みたいな喋り方をしていたものだが、成人するとタマ子みたいになるのだと、的確なリアリズムにビビらされる。

タマ子の「今はその時ではない」から「合格」に至る断定の連続は、上記の物語のために必要な科白なのだけれど、天啓のような阿呆らしいフレーズだ。これらはどこから降って来るのか。思うに前田敦子のタマ子は加賀まりこ芹明香など、訳の判らない狐顔の女という系譜に連なる。『月曜日のユカ』にせよ『(秘)色情めす市場』にせよ、彼女らの独特の処世術と人生観は周辺世界をいつの間にか統御して行く強度を持っていた。タマ子もこれを踏襲している。

タマ子独特の処世術を端的に表しているのは、「自然消滅」を冷笑するラスト。自然などとんでもないという断定に、狐顔の女は全てをコントロールする、というテーゼが浮かび上がる。もちろんアイドルの応募には落ちるし友達もいないが、これらは人生を操作するために、無駄な部分を削ぎ落とすプロセスなのだ。ひとりで駅に佇む旧友に手を振る自転車の件は突然に感動的な場面だが、あれも削ぎ落としの一環、決別のサインだと解せばなかなかに複雑なものがある。芹明香に友達はいない(同じ孤立でも、狸顔の女はそんなことはしない。富田靖子の召還はこの対照を示している。『BU・SU』では友達いたし)。

本作のパンフ、求めるのが恥ずかしいポスター仕様だが、たいへん丁寧なもので、インタビューや傍証すべき映画一覧など充実している。タマ子は田原総一朗が好きらしい。こういう細部を膨らませたら幾らでも面白くなっただろうが、捨象して90分弱の尺に収めるスタンスはとてもいい。ここで前田敦子はタマ子について、「一度挫折した女の子」と評している。的確な把握だと思うが、その後タマ子が挫折から立ち直るか、そのまま芹明香になるか、物語の行方を忖度するのは野暮というものだろう。タマ子はモラトリアム期にとてつもない強度を放った、この瞬間を刻印するのに、90分の尺は実に的確であった。

(評価:★5)

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