[コメント] 日本春歌考(1967/日)
なにが面白いって春歌が面白い。こんなの聞いたことがなかったけど、繰り返されるうちに頭にこびりついてしまった。
一つ出たホイのヨサホイのホイ/一人娘とやるときにゃ 親の許しを得にゃならぬ ホイホイ/二つ出たホイのヨサホイのホイ/二人娘とやるときにゃ 姉の方からせにゃならぬ ホイホイ/三つ出たホイのヨサホイのホイ/醜い娘とやるときにゃ バケツ被せてせにゃならぬ ホイホイ/四つ出たホイのヨサホイのホイ/よその2階でやるときにゃ 音のせぬよにせにゃならぬ ホイホイ/五つ出たホイのヨサホイのホイ/いつもの娘とやるときにゃ いつもの調子でせにゃならぬ ホイホイ/六つ出たホイのヨサホイのホイ/昔の娘とやるときにゃ (※不明箇所) ホイホイ/七つ出たホイのヨサホイのホイ/質屋の娘とやるときにゃ (※不明箇所) ホイホイ/八つ出たホイのヨサホイのホイ/八百屋の娘とやるときにゃ カボチャ枕にせにゃならぬ ホイホイ/九つ出たホイのヨサホイのホイ/校長の娘とやるときにゃ 退学覚悟でせにゃならぬ ホイホイ/十と出たホイのヨサホイのホイ/尊いお方とやるときにゃ 羽織袴でせにゃならぬ ホイホイ
もちろん実際にはなにかと制約や抑制もあった上で、画面上にバランスを保って成立して見える≪自由≫にすぎないのだろうけど。でも、なんでもありでいいんだ、という勇気をもらえたことは確かだし、気づかぬうちに自分で自分にかけている制限みたいなものも、見直し乗り越えることが可能かも、と思った。
荒木一郎の面構えもいいね。さすがに18歳には見えなかった(本当に18歳だったら申し訳ない)が。こういう人好きのしない、ニヤけて不遜な感じのする顔つきを、映画みたいなメディアで起用するのって、大島渚だけだよな。青春のドロドロ渦巻く情念の存在を、発散する手立ても知らないまま、取り立てて隠しているつもりもないので、何か問題があるのなら指摘してくださいとでも言うような、開き直った態度。本人には決して傲慢なつもりはないのだよね。それと比べると池畔の夜のパーティで、ギター弾いて外国の歌を歌っていた東京の高校生たち?は、そういった衝動を糊塗している奴らとして描かれているね(それも青春の一頁ではあるけれど)。
見れば見るほどチョイ中森明菜似で幸薄そうな田島和子も、18歳にしておくのはもったいないくらいのイイ女。今年で60になるはずだが、彼女の人生に幸多かったことを祈る。
80/100(09/09/19記)
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