[コメント] インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌(2013/米)
古色蒼然たるセピアカラーに彩られた、「唄うクズ人間のできるまで」の散文詩。クズにはクズの生き方が存在することをコーエン兄弟は描写するが、主人公は出口なき円環ででもあるかのような日常の内でもがき、後継者の登場まで焦燥は去らない。オスカー・アイザックの歌唱とステージ・パフォーマンスは凄絶な再現度。
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映画を見終った人むけのレビューです。
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寒山様が異論を呈された(「批判」は深読みのしすぎでした。申し訳ありません)「円環」という表現については、文意がよく伝わるよう文脈をいじってみましたが、あえて表現自体はそのままにしました。どちらにしろこれがリアリズムを極める映画でなくてはならない理由もなく、ディランという後継者の登場で踏ん切りがついて繰り返しの日常から脱した、といった安直な結末ととろうと勝手とみたからです。
以下は付記。いろいろ考えているあいだに、本当に主人公はエスケープする好機を待っていただけのような気がしてきた。プライドだけは一人前のこの男だが、実のところまったく向上心がないのはすでに自分の極められる頂点が見えてしまったからではないのか。モデルになった伝説のシンガーにしてみれば、こんな男として描かれて迷惑千万ではあると思われるが、少なくともコーエン兄弟が今回撮ったのは、煎じ詰めればただのヘタレのクズ男だと自分はとっている。この21世紀にして「ヒーローの資格」なるものが何かと問われたなら、それは「カメラに写っている」ということだけであるのは、最早われわれにとっての真理ではないのか。くだんの監督の進めた作業は、「クズを被写体にしてどれほどの成功が得られるか」の実験と自分はふんでいるのだが…?
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