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[コメント] 龍三と七人の子分たち(2015/日)

アウトレイジ』、そして『ビヨンド』に比べると画面の力強さ(特に照明)が落ちてきている、という気がする。これまでの北野武作品より格段に説明的描写が多いのもどうかと思う。但し編集のタイミングはやはり独特で、どこか奇妙なズレを映画内に生んでおり、また、『みんな〜、やってるか!』を思わせる終盤30分の破綻は面白い。中尾彬の使い方にはさすがに爆笑した。総じて及第点の楽しさは味わえるか。
赤い戦車

例えば藤竜也の家にオレオレ詐欺の電話がかかってくる場面。ここはカメラが藤の周囲を手持ちで前や後ろから捉えるのだが、効果的な繋ぎとはいまいち思えない。無駄にショット数だけ増やして落ち着かないカメラの様子に嫌な予感が脳裏を過る。それに、ここで電話の相手側を映すショットは説明的すぎる。「行ってきます」と名乗り詐欺師が出発する様子などこれまでの北野武の感覚からすれば絶対に挿入しなかったであろう。藤が女装して逃げ出す場面では、予め女服を画面に映してしまい、台詞でも強調することで、次のショットでどうなるか先が読める状態に陥ってしまう。こういった説明的な描写は笑いの度合いを縮小してしまっているのではないか。

北野武は向かい合った話者を同一画面内に収めることを忌避する傾向があるのだが、本作でもそれは顕著である。料亭で客が何のメニューを頼むのか賭けるシーンは客と藤竜也ら2人を一緒の画面に収めたショットが確か最後だけで、煙草の煙や酒の徳利(店員がわざわざ目立つ色に取り換える)で切り返してることを示す。何故そんなことをするのかは、謎。会長の邸宅に挨拶しにいくところも、そう。切り返したらテンションが全く違うのはカウリスマキか。ここで登場する秘書が中々可愛いと思ったのだが、それはともかくとして、こうした編集によるズレがある種の緊張を創出し、映画を持続させているのは確かだ。

本作では上記のようにまだ編集が独特なため楽しむことができたが、このまま画面の力が衰え説明的(言語的)になっていくのならば、次作は高確率で駄作になるだろう。北野武はどこへ向かうつもりなのか。

・街宣車が角を曲がって藤竜也の息子が働いてる会社に到着する横移動ショットには高揚感があって良い。霊柩車が出陣するショットの風も悪くはない。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)おーい粗茶[*] ゑぎ[*]

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