[コメント] マッドマックス 怒りのデス・ロード(2015/豪)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
まさかの復活である。と言ってもマックスのことではない。インターセプターのことだ。インターセプターと言えば「2」で木っ端微塵にふっ飛んだはず。それゆえ「3」のサンダードームには登場しない。ということは今回の物語では「2」と「3」は存在せず、あくまで「1」の続編という形で今回の「4」がある、と見るべきなのだ。では「1」と「4」を一つの物語として考えた上で以下の文章を読んでいただきたい。
「アダムがエデンを追放された後の楽園なき世界で、ヨルダン川の洗礼を受けたイエスキリストは精霊に導かれ荒れ野へと送り出される。そこでイエスは悪魔から3つの誘惑を受けるが、これをことごとく打ち破り悪魔を追い払う。そしてイエスは天使たちとともに活動、十字架に架けられるが死から復活し、エデンに再び平和をもたらした」
あくまで個人的解釈であるが、言わずと知れた聖書のあらすじである。では次に「1」のおさらいを。
「スピードと暴力の世界に生きる警官マックスは妻子と共に幸せに暮らしていた。そこに邪悪な暴走族が現れ、妻子が犠牲になる。怒ったマックスは最強マシンインターセプターを違法に持ち出し暴走族に復讐した」
これを聖書に当てはめると、マックスはアダム、家庭はエデン、暴走族は蛇、罪を犯すはアダムの原罪、罪を犯した事で手にした力がインターセプター、マックスはもう帰る家がない=エデンからの追放を意味していたと解釈できる。聖書ではアダムの追放後、楽園はなくなり土も枯れ、世界は荒廃するのだが、それが「1」と「4」の間に起きた核戦争に重なっている。次いで「4」のあらすじ。
「かつて救えなかった少女の霊に苦しむマックスは支配者イモータンジョーの軍団に捕まり窮地に陥るが脱出に成功。その後ジョーから逃げたフュリオサたちと共に戦いジョーを倒す。傷ついたフュリオサも蘇生させ、平和な世界を取り戻した」
まずマックスは少女を救えなかったという過去に苦しめられていた。マックスをアダムとすれば彼が苦しんでいたのは「アダムの原罪」と言える。次にマックスはジョーの軍団に捕まるが脱走を試みる。その途中で水たまりを渡り、少女の霊に遭遇する。これは「ヨルダン川の洗礼」と「精霊の導き」である。続いて聖書では「悪魔の誘惑」となるが、これは信仰を問う試練の事で簡単に言うと「空腹に耐える」「高いところから飛び降りない」「富、権力、名声など栄華を求めない」の3つである。これをマックスに当てはめると、マックス、輸血袋にされ血が足りない「空腹」に耐える。マックス、砦から脱出しようと「ジャンプ」するが不発に終わる。マックス、砂嵐の中でニュークスの自爆を食い止め彼の「殿堂入り」を阻止、しかしクルマは激しく大クラッシュ…という流れになる。
やがて砂漠で意識を取り戻すマックス。この場面はなぜか神々しく荘厳である。ちなみにアダムは土から造られたというのが聖書の定説なので、マックスは試練を乗り越えて土から再生したと考えられる。これを復活と捉えるなら、先程まで車の先端に縛り付けられていたマックスの姿は十字架に磔刑にされたイエスの姿に繋がることになり、マックスはアダムでありながらキリストの生涯をなぞる事になる。実際、その後マックスはフュリオサと5人の天使たちと出会い、彼女たちと行動を共にし戦いに勝利する。瀕死のフュリオサの蘇生はキリストが起こした奇跡と言え、彼は神の国エデンを再生し去ってゆくのであった。
「4」のストーリーの基本は「行って帰る」物語だ。そして「1」と「4」もエデンを巡って「行って帰る」構造になっており、「1」は「法と秩序の崩壊によるエデンの終わりと暴力が支配する世界の始まり」であるのに対し、「4」は「信頼と協力が暴力の世界を打ち砕き、共生する世界エデンが復活する」という物語になっている。どちらも希望と絶望が反転しており、これらは正反対な性質を含んでいると言えるだろう。つまり「二つの異なる性質を持った一つの体」という構造がこの映画の本質であり、それは冒頭の「双頭のトカゲ」が象徴していたのである。そしてそれは
「人間とは善と悪、希望と絶望など対立する二項を併せ持つ存在であり、それをどうコントロールするかはハンドルを握る我々自身の意思なのだ」
というメッセージだと解釈した。「1」のコメントでも同じことを書いたような気がするが(笑)だとすれば、これはシリーズを通してジョージ・ミラー監督が貫いたテーマだったとも言えるのだ。こうして「1」と「4」が一つになることで、マックスの物語はここに完結したのである。
第2部:超人マックスここに誕生。
映画のテーマに合わせてコメントも二部構成でお送りします(笑)というわけで、ここでは第2の主人公であるフュリオサに注目してみたい。フュリオサはマックスの輸血で復活しているが、これをフュリオサ自身の奇跡と考えれば、彼女こそ本当のイエス・キリストだったのだ。
思えば彼女は砦を出てからから何も口にしていない「空腹」で、ラスト近くでジョーを倒しにウォータンクという「パワー」の象徴を手放し、ジョーを倒した後に転げ落ちそうな所をマックスに救われ「落ちなかった」という、3つの誘惑をきちんとこなしている。またマックスのピンチを救った際に脇腹を刺され重傷を負ってしまうが、聖書ではキリストも十字架の磔刑で同じところを刺されている。ということはマックスはアダムとして、フュリオサはイエスとしてそれぞれ復活を果たしており、なおかつ血液も一致するという事から考えて、彼らは神を父とする兄妹だったと見て間違いない。
やがて砦は平和と平等を手に入れ、神の国エデン(ホーム)も復活する。そして聖書に書かれた「イエスは盲人や足の不自由な者を神の国に招かれた」の言葉通りフュリオサは神の国へ人々を招き入れ、マックスは「最初のアダムは神の国を相続できない」のままに一人去ってゆくのだった。聖書によるとイエスは第2のアダムと呼ばれており、それをこの映画に当てはめると彼女は第2のマックスとなる。それゆえラストで片目になるフュリオサの姿は「2」のマックスの姿に重なっていたのである。またフュリオサ=イエス説が正しければ、彼女と共に脱走した5人の妻と故郷の女戦士7人を足すと12人の使徒になるというオチがつく。
ところでなぜフュリオサは、片腕という設定が必要だったのだろうか。まず片腕といえば「1」で腕がもげてしまったカンダリーニとの対であるのは間違いない。もう一つは、ラストでフュリオサは義手を失うが、義手がないということは不自由な状態を意味している。つまり彼女は不自由な存在で、しかもイエスであるとするならば、それは戒律で信者に不自由を強いるキリスト教の教えを象徴してる、とも言えるのだ。
しかもこの映画は聖書をなぞっているが、キリスト教の教え通り「神を信じて罪を悔い改めよ」と主張している訳ではない。むしろ逆である。アダムがイエスを救ったら原罪はなくなりキリスト教の基盤は失われる。さらに男尊女卑のキリスト教でイエスが女性というのもありえない。しかもマックス側はほとんど無信仰である。つまり聖書を踏襲しながら聖書を否定するような内容という、キリストと反キリストという正反対な関係を併せ持っていると言えるのだ。そして反キリストと言えば、真っ先に思い浮かぶのがニーチェである。
ニーチェと言えば「超人」(自分で善悪を決められる者)である。そしてその超人に至る過程を「三様の変化」と言う。この「三様の変化」は「従順」を意味するラクダで始まり、「破壊」の獅子を経て、最後は子供のように「創造」する者へと変化する形態を言う。そこで「4」の中に「三様の変化」に当てはまるものがないか探してみた。獅子は「破壊」だからマックスであり(そういや長髪がタテガミのようだった)、「創造」の子供は砦にいっぱいいた。最後にラクダはと言えば…見当たらない(汗)いや待てよ、ラクダの特徴は、砂漠に住んでて、体毛が白っぽくて、背中にコブがある…それってイモータン・ジョーではないですか!!!ニュークスにコブがあったのもウォーボーイズが白いのも、全て「ラクダ」と「従順」のイメージだったのだ。
じゃマックスは何だともう一度思い直してみると、彼は「1」で誘惑に負け、悪魔に従順となる「ラクダ」に始まり、「4」では「獅子」の破壊で自らを開放し、そして再び「子供」として土から生まれるという「三様の変化」を経ているのだ。さらにアダムである彼は禁断の果実を食べているので「自分で善悪の価値を決められる人間」と言え、彼は基準となる条件を全て満たして「超人」になったと解釈できるのだ。だからこそ彼は「超人」的活躍でジョー軍団に勝利、なおかつイエスの復活という命の「創造」までやってのけ、エデンの再生をも成し遂げたのである。つまりこの映画は、キリスト教代表のイエスことフュリオサと、反キリスト代表の超人マックスが、手を組んで悪魔を倒すというブッ飛んだ映画だったのだ。厳密に言えば直接ジョーを倒したのはフュリオサなので、イエスの手によってジョーという「神は死んだ」のであった(笑)
第3部:マッドマックスは永遠に。
二部構成の予定でしたが途中から三様に変化しました(笑)というわけで、ここまで小難しい話ばかりでまったく映画の感想になっていなかったので、最後に素直な感想を述べて終わりにしたい。
まず新生マックスについて。シリーズのファンであれば冒頭のマックス登場の場面に違和感を感じたのではないだろうか。いきなりトカゲをナマで食べ、しかもいきなり捕まる無能ぶり。さらに脱出を試みるがその姿にかつてのクールなイメージはまるでなく、むしろ野獣を思わせる息せき切った猛進ぶりはさながらイノシシのようで
「こんなの私の知ってるマックスじゃない!」
というのが正直な感想だった。しかし、である。マックスはイノシシのような狩られる野獣から、獲物を狩るハンターへと変貌を遂げてゆき、ラストシーンではまるでクロサワ映画の三船敏郎並にカッコよく見えるではないですか。そう、これは前半と後半で真逆というテーマのための演出だった、と気がつき納得した。なお冒頭でのマックスはすでに精神がマッドのピークにあり、終盤に向かって人間性を取り戻してゆく、というのが今回のポイントであった。言わば今作はマックスの「人間回帰」であり、それが「ホーム」という言葉にも合致するのである。ラストでマックスが自らの名を名乗ることは「人間」の心を取り戻した証でもあったのだ。
次にインターセプター。せっかく復活したのにまったくいい所なくガッカリした。しかしインターセプターこそ悪魔の力の象徴だと後に分かり、これは忌むべきモノとして葬った、として納得した。ちなみに最後にこれに乗っていたのは口が裂けていた男だったが、口が蛇のようであることから彼こそ悪魔の化身だったと考えられる。ゆえにあの場面はマックスを襲おうとしたのではなく、マックスに車を渡して再び悪の支配下にしようとしたとも解釈でき、それをイエスであるフュリオサが阻止し、悪魔を葬ったというシーンなのだ。
さらに「なんで唐突に幽霊とか出てくるの?」と理解不能で戸惑った。これも聖書の精霊とわかり、まあ、ありかなと受け入れた。緑の地で絶望するフュリオサにマックスは「希望など持たぬことだ」と言ってたのに翌朝には気が変わってるという180度の急展開も「朝になって神の啓示を受けた」とすれば仕方ないな、と無理やり思うことにした。(←それ納得してないんじゃ…)
逆にまったく期待してなかったおばちゃん戦士たちが有能すぎるという意外性に驚いた。特にバイクの女戦士が転倒し、敵の真っ只中に取り残されるという絶望的状況の中で、仲間をかばいつつも反撃に転じるその勇姿には魂が揺さぶられた。また種を持っていたおばあちゃんが、まだ生きていたのに足でまといになるからと、わざと死んだふりをして微笑む姿は涙なしには見られなかった。これら女戦士たちの活躍はウォーボーイズと対になっており、信念という自分の意思で戦う者と、信仰による洗脳で自らの意思を持たない者との戦いを通して「自由意思」の素晴らしさを描いていたのだ。(自由なギターソロと自由ではない複数のドラムも同じ理屈の対比である)
さていよいよまとめである。この映画のキーワードは「反転」である。「行って帰る」「希望と絶望」「野獣から人間へ」「自由と不自由」「キリストと反キリスト」「実写とCG」「ニュークスの転身」など、この映画では様々な価値観が180度反転を繰り返している。それはカースタントにも当てはまる。クルマは横転やら一回転など、とにかくよく回っており、これも反転のメタファーと考えられる。これらの点から私は以下の結論に至った。
「人は自分の夢や希望を持って人生を歩んでいるが、突然のアクシデントで人生は反転(暗転)する。しかしそこからハンドル(価値観)を切り返せば、また新たな希望が生まれてくる」
不幸は避けられないし絶望はいつか訪れる。それでも絶望による支配から自分を解き放てば、新たな希望はきっと見つかる。人生は「希望と絶望」の繰り返しなのだ。それが永遠に避けて通ることができない道であるなら、今を肯定して精一杯生きる、それこそが人間の本来あるべき姿(ホーム)なのだ、と。まあほとんどニーチェ解説本の受け売りなんですが(笑)しかしこの前向きな「人生讃歌」こそ、この映画の本質のように思えるのだ。(ちなみにジョー軍団の主要メンバーが人間離れしているのは人間本来の姿からかけ離れてるという暗喩である)
「2」の大ファンである私としては、今回で「なかった事」にされてしまった点や、新生マックスに少し違和感を感じたり、説明不足な点があったりと不満があるのも事実である。だが絶望の「1」と希望の「4」のように、異なる二つが一つに合わさる事で、新たな価値観を創造した点を大いに評価したい。「2」と「3」をバッサリ切り落とした事で「二つで一つ」というテーマがより明確になり、なおかつ「3」の悪い流れを断ち切ったからこそ新たな世界観を構築できたと言えるだろう。これはもうミラー監督の見事なハンドルさばきだったと言うしかない。もう今では細かい不満さえも「全ては必然だった」と肯定的に思えるくらいこの映画を気に入っている自分がいる。私にとってこの映画は、観る者の心に希望の種を植え、挫けそうな時にはV8級のパワーを与えてくれるハイオク満タン映画なのだ。そして何よりここまで長いコメントを書かせる映画は滅多にない、そこに尽きるのであった。…まあ、ただ単に文才がないだけの話なんですが。(2015.7.30)
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