[コメント] 私の少女(2014/韓国)
映画を見終った人むけのレビューです。
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リアルであるかどうかはこの際問題ではなく、どのような解釈も許されるような重層的なシークエンスの積み重ねがとても優れていると感じた。打算もあるが、愛もある。性愛もあるが、いたわりの気持ちは強い。「矛盾と見えるもの」は、必ずしも互いに相入れず分かつべきものではない。分けられないものを引き剥がして安易な理解に押し込めようとするのは暴力だ。そもそも何が「悪い」ことなのか。同じ同性愛を扱った『ハッシュ!』で「何で『絶対』なんて言えるんだよ!」と田辺誠一が振り絞るように叫ぶシーンがあるが、その時に感じた「これだ」感があった。ペ・ドゥナには「無理解」だけでなく、安易な「理解」も暴力として捉えられている(尋問官が手のひらを返すシーンに対する諦めのような蔑むようなリアクションがそれだ)。
同僚の後輩がキム・セロンを「怪物」と呼んだ時、彼女を受け入れることを決めたペ・ドゥナ自らも「怪物」となることを悟っただろう。「わからない」「割り切れない」ものを人は「異物」「怪物」と定義して身を守る。その弱さや想像力の欠如、未熟さを告発する映画ではない(それはダサい映画だと思う)。もはや彼女らは社会に期待しない。救われたという意味では、ペ・ドゥナも救い出されたのかもしれない。もっとも、救い出された先は別の地獄であるわけだが。理解を拒絶して、異物であることを所与のものとして地獄で生きていく「覚悟」。二人だけの聖域。ネタバレになるから書かないが、この「覚悟」で終わる映画には傑作が多いと思う(ペンクロフさんが挙げられているもの以外でも少ない私のレパートリーの中からでさえ4つは挙げることができる。もっとあるだろう)。これもその一つだ。
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