[コメント] アイアムアヒーロー(2015/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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冒頭、主人公がZQNになった彼女を殺してしまった時、原作では執拗に彼女や人間のモラル的なものについて謝り続けるのに、さっさと見捨てていってしまったのを観て、なんかちょっと違うかな…って気がした。
全体像とかよりも気に入ったところだけ切り出されている、動画サイトにあがっているものを観るほうが面白いっていう人たちならまた違うのかも知れないが、やはり私は物語には物語的なものを求めてしまう。それは、何か事件が起こって、それってどうなるの?、ってなって、ああ、そうだったんだ!って満足する、っていう基本的な構造。一種の共感といってもいい。 そう、この映画見せ場はいいのに、共感させてくれないところがいまいちなのだ。
「自分がヒーローになるとき。それは今」って、まんま歌の歌詞だけど、長い原作を2時間の映画的なテーマにするうえでの絞り出しはいいと思う。日常ではヘタレの自分が、非日常となってしまった世界でも結局ヘタレが変わらなくて…っていう切り口は特にいい。救出のために何度も何度もロッカーから出ていこうとする自分の妄想を繰り返すシーンがよかったのは、とっても共感できるからだ。
愛する人や知人が化け物になっていく悲しみや驚き、道中を伴にすることになった女の子への好意、非現実の中で人によっていろいろあるんだなというそれぞれの行動規範のありよう、化け物に出くわさないかハラハラしながらの偵察…見せ場が主旋律だとしたら、重層低音のようにこれらの共感ポイントがうまく響いていないから、スカスカした音楽に聴こえる、そんな感じだった。
冒頭のZQN彼女がドアに噛みついて歯を折っていくシーンって、薄れゆく意識の中で自分が恋人を噛んでしまうであろうことを予期して、彼女は自らの意志で最後の力を振り絞って歯を折っているのに、そのシーンの前に「噛みつかれると感染」というルールの提示をしていなかったから、そのシーンをせっかく描いているのに説明はしそこなっている(彼女が自分の意志で歯を折っているというのは原作ではしっかり説明されているのだ)。だとしても、富士の裾野の神社で、主人公と女子高生がともに甘噛みだったんで助かっていることを確認している場面があったんだから、そこで説明はできたはずだ。主人公に「最後も彼女に面倒みてもらったんだ」って落ち込ませるべきだった。これは本作の痛恨の極み。
ゾンビの大襲来にもうだめだ…って揉まれて終るところ、全員倒す、撃ち勝つ、っていうパターンってゾンビものではいままでなかったかも。そこは良かった。あまりにも大量の殺人をして頭が真っ白になって、異常なアドレナリンで興奮している主人公が描けていれば更によかった。
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