[コメント] 湯を沸かすほどの熱い愛(2016/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
幼い頃に実の母親に捨てられて、どうやって生きてきたら、人は双葉のように厚い情を持てるのでしょう?
探偵が探してきた双葉の母は言います。
「わたしにそんな名前の娘はいません」
双葉は実の母親に二度も捨てられるのです。
それなのに、双葉は、彼女は血の繋がりのない娘たちに、周囲の人に、溢れんばかりの愛情を注ぎます。
「いつか役に立つときが来るかもしれないから」と安澄に手話を習わせたり。
自分と同じように母に捨てられた鮎子も我が子のように可愛がり。
ヒッチハイクで出会った実の母を知らない拓海に愛情と目的を与え。
夫・一浩の数々の不貞や裏切り、嘘までも許して去って逝きました。
『八日目の蝉』のレヴューで書いたように、実の母と二番目の継母に捨てられた僕にとってこの双葉という女性は理想の女性です。
いや、理想の母親です。
拓海は(安澄と鮎子に)言います。
「こんなお母さんから生まれてきた君たちは幸せだ」
しかし、双葉には結局実の子供はいないというお話です。
血の繋がりよりも、愛情。
それが実母であろうと継母であろうと関係ありません。
母の愛情は、子を真っ直ぐに育たせるでしょう。
二人の娘はきっと双葉のような母親になることでしょう。
この手の映画にはからっきし甘甘の点数をつけてしまう僕ですが、この話はおそらく誰が見ても泣ける作品だと思います。
普段は見えない筈の「愛」をこうはっきりと見せられて感動しない人はいない、と僕は思うのです。
思いたいのです。
と、書きましたがここにきて、いや、泣けない人はむしろ幸せな家庭で育ち、双葉の愛情に似た愛情に常に接してきている人でしょう。
そう、当たり前でありふれた愛の話に感動はしないものです。
僕のように母の愛情に飢え、欲している人間のほうがむしろ少数派かもしれません。
僕も双葉のような母が欲しかった......です。
以下、笑えた点。
ブラジャー会議終わり。
せめて丸い方でお願い(垂れてきた鮮血をおたまですくう)。
心の中で言ってるよ(しゃぶ〜しゃぶ)。
鮎子、ここにあり。
他にもシリアスになり過ぎないよう適切に配置されたユーモアのバランスも抜群に良かったと思います。
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