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[コメント] わたしは、ダニエル・ブレイク(2016/英=仏=ベルギー)

19世紀に始まった資本家と労働者という左右の対立軸は、イデオロギー闘争の終焉とともに希薄化され、21世紀の今、合理性というとりあえずの正論のもと、国家と市民という上下の合意軸を模索して、波間の喫水線のように揺れ動く。血のかよった政策や制度って・・
ぽんしゅう

「悪いことは、してはいけないからしない」というのが道徳であり、「悪いことは、したくないからしない」というのが倫理。そう明快に言ったのは池田晶子だった。私流に乱暴に言い換えてしまえば、道徳は“公(多数)の合意”であり、倫理は“私(心)の得心”だ。

たいていの政策や制度は“公の合意”として立案される。しかし、運用される対象は個人だ。もし、ダニエル(デイヴ・ジョーンズ)のように(当然のことなのだが)政策や制度に個人としての「尊厳」を求めるなら、それは“私の得心”によって成り立っていなければならいということだ。

道徳は喜怒哀楽に左右されないが、倫理は喜怒哀楽に根ざす感情の問題だ。「尊厳」もまた同じ。だから血のかよった政策や制度は(上から目線の)道徳心ではなく、為政者(それは選挙民たる我々のことなのだが)の倫理感によってしか生み出されないのだ。なんとも難しい。人と社会の永遠の課題なのだろう。

今のAbe政権がのたまうように、百歩譲って道徳心が学校教育で養えたとしても、倫理感は公式化された上意下達などでは絶対に根づかない。まして、いまだに亡霊のように裏教育界を徘徊する教育勅語など論外だ。「悪いことは、したくないからしない」という心は、個の意志によってのみ育まれる「尊厳」そのものなのだから。

そんなことを考えた。

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