[コメント] フェイシズ(1968/米)
各キャラクタの人格のなんと立体的であることか! それは現実以上に現実的ですらある。その意味で、これをリアリズムと呼ぶことはもはや適当ではない。どうすればこのような演技が、演出が生み出せるのか。カサヴェテスはぶっきらぼうに映画の魔法を連発する。
控え目に云っても、これは最強の酔っ払い映画だ。強烈な酔っ払いのキャラクタを持った映画は数あれど、ほぼすべての登場人物がこれほどに酔っ払い、酩酊時の爆笑と覚醒時の真顔の鋭い往還だけで一篇を成り立たせてしまっている映画は他に思いつかない(ここで「酩酊」と「覚醒」とは、『こわれゆく女』『オープニング・ナイト』などに見られるカサヴェテス的テーマ「正気」と「狂気」の一形態でもあるでしょう。ジーナ・ローランズが真顔になる瞬間の凄さ!)。
ところで、「登場人物に寄り添う/を突き放す」という云い方はよくされるけれども、この映画を見ると、それがカメラと被写体との距離に比例するものではないことがよく分かる。これほど被写体にカメラを近づけながら、彼/彼女を突き放して描いた映画というのもまた他に思い浮かべるのが難しい(カサヴェテスの諸作を除いて)。いや、その云い方も正確さを欠いているだろう。ここでカサヴェテスは彼らを突き放しつつ、彼らに寄り添っている。あるいは、彼らを「丸ごと捉えている」と云ったほうがよいかもしれない。それはアップカットで切り取られた顔面にその人間性(立体的な人格!)が凝縮されているからだ。題名の云うとおり、これはまさしく顔面映画だ。顔面映画の最高峰。
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