[コメント] ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ(2016/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
本作の主人公、レイ・クロックは、野心家で努力家、仕事大好き人間のプロテスタンティズムの倫理の権化のような人物として登場します。実際、彼の座右の銘ならぬ座右の書は、トランプ大統領も大好きなノーマン・ヴィンセント・ピール牧師の『積極的考え方の力』です。映画ではレコ−ドで本を聴くシーンが出てきます。audibleが一般的なアメリカでは機械による読み聞かせが昔から読書方法として定着しています。レイはプロテスタントの牧師に心酔しているユダヤ人なんです。
そんなレイは、シンプル・旨い・早いの画期的外食システムを発明した創業者のマクドナルド兄弟を追い出して本名の使用権まで奪い、自分がファウンダーを名乗り、無名時代の自分を支えてくれた妻を捨てて人妻を奪って立志伝中の人物になります。
奥さんかわいそう!マクドナルド兄弟かわいそう(能年玲奈の悲劇だ)!アメリカ人はオリジナリティに敬意を払わないのか!神はなぜ泥棒猫に微笑むのか!バチは当たらないのか!こりゃバッドエンドだ!と思いました。最初は。
でも私は気づいてしまったのです。冒頭の『積極的考え方の力』に惑わされてしまったけど、これはプロテスタンティズムの倫理の帰結の物語なんかではなく、ハンバーガー帝国のヒミツどころかアメリカ帝国のヒミツの物語なのだと。レイはユダヤ教の影響下にあるのかキリスト教の影響下にあるのかなんてどうでもいい。
どういうことなのか説明します。
世の中にナラトロジー(物語論)という人類学の親戚のような学問があります。おおざっぱに言えば、物語の構造を発見・分析することで物語を理解しようとする学問です。
ナラトロジーによれば、鶴の恩返しも浦島太郎も同じ型ということになります。<主人公に禁止事項が課される→誰かが留守にする→禁止事項が破られる>という基本パターンが同じだからです。
本作『ファウンダー』の構造は次のとおりです。<主人公が素晴らしいものに出会う→もとの持ち主から奪う→最初から自分のものであったかのように振る舞いそれを広める>
もう少し細かく書くとこうなります。
明確なビジョンと方法論があるがそれを実現できない日々(ミキサーの営業)
→画期的なシステムに出会う(マクドナルドとの出会い)
→参画する(フランチャイズ契約)
→理解し共存する(メニューのシンプルさ店の清潔さなどを踏襲)
→当初の方法論の限界に直面(売れているのに儲からなくて資金難)
→事業を飛躍させるアイディアを持った人物が現れる(ソナボーン)
→事業の飛躍にパイオニアが反対する(マクドナルド兄弟は品質第一を主張)
→パイオニアと衝突する(契約トラブル)
→パイオニアに取って代わる(マクドナルド兄弟から経営権と名称を奪う)
→事業を水平展開で拡張する(ますますフランチャイズが拡大する)
→事業開始前からずっと見ていた家族と決別する(糟糠の妻と離婚する)
→ファウンダーとして振る舞う(1号店をすり替える)
→パイオニアを衰亡させる(マクドナルド兄弟の店の前に出店して兄弟の店を潰す)
ひどい話しに思えますが、これって大筋アメリカの歴史そのものなんですね(構造なので時間の前後等は多少あります)。
明確なビジョンと方法論があるがそれを実現できない日々(イギリスで迫害される清教徒)
→画期的なシステムに出会う(新大陸の発見)
→参画する(新大陸へ集団移民)
→理解し共存する(ナバホ族などインディアンと英語を媒介に共存を試みる)
→当初の方法論の限界に直面(開拓初期の農耕の困難と飢餓)
→事業を飛躍させるアイディアを持った人物が現れる(キャプテン・スミス)
→事業の飛躍にパイオニアが反対する(自然破壊やバッファロー乱獲にインディアンが激怒)
→パイオニアと衝突する(インディアン戦争)
→パイオニアに取って代わる(インディアンを武力制圧する)
→事業を水平展開で拡張する(西へ西へとフロンティアを拡大)
→事業開始前からずっと見ていた家族と決別する(イギリスと独立戦争)
→ファウンダーとして振る舞う(インディアンの時代をアメリカの黒歴史化)
→パイオニアを衰亡させる(黒人は解放してもインディアンの聖地は開発と観光の名の下にほとんどが収奪したまま)
つまり、マクドナルドの成功譚は、よそ者のレイがアメリカ人の物語を自ら体現することによって成功するという物語なのです。
そしてこのパターンは、Facebookにもまんまあてはまります。映画『ソーシャル・ネットワーク』がなぞったザッカーバーグの成功譚は、レイ・クロックの人生と全くの同一構造をしています。ぜひ、確かめてみて下さい。
さて、これがわかって、なぜレイなんかの話しを聴きに人が殺到するのかの謎が解けました。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」がキリスト教の教えだからです(新約聖書ヨハネによる福音書第8章)。インディアンの地で暮らす彼らには、掠奪を非難することに無意識の良心の抵抗が働くのでしょう。
同時に、アメリカ人でもない我々がレイやザッカーバーグの人生を真似してうまくやっても多くの人がその話しを聴きに来るようなことにはならないだろうなという最初に映画を見たときの感想の由来もわかりました。日本では、彼らのようなやり方で大金持ちになったとしても尊敬まで得られることはないし、幸せな人生も送れないでしょう。日本人として大成功するには、日本歴史の構造を見つけ出し、それを国民の物語として一般化するナラトロジーの知恵が必要なのかもしれません。
最後に、タイトルのファウンダーは創設者という意味ですが、found+erつまり「見つけた」「人」でもあるんですよね。見つけた人と見つけられた人の物語を表すこのタイトルは恐ろしくマスタードが効いているなと思いました。
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