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[コメント] グレイテスト・ショーマン(2017/米)

クレジット開けのナンバー、"The Greatest Show" で白馬が数頭、音楽にぴったり合わせて速歩(はやあし)をする。これが、CG丸出しの不自然な歩様(足の動き)なのだ。この冒頭を見た時点で、何が生身の被写体なのか、分かったもんじゃない、という猜疑心を抱いてしまった。
ゑぎ

 例えば、白いシーツの洗濯物が干された屋上のシーンで、ヒュー・ジャックマンと踊る、ミシェル・ウィリアムズのダンスのキレの良さもCGじゃないかと思ってしまう。

 さて、このような疑いを持って映画を見ても楽しめないので、早々に、CGだろうと何だろうと、そのデザインの具現化を積極的に楽しもうという姿勢に転換する。では、逆にCGの良さは、どのあたりだろうか。まずは、全編に亘って、シーケンス遷移は、ほとんどCGで滑らかに時空をまたぎ、マッチカットをワンカットに見せかけて背景を繋ぐ。これのおかげで、映画全体に性急過ぎる印象を与える弊もあるけれど(特にジャックマンの成功があっけな過ぎるように感じる等)、でも、この演出はとても楽しい。あるいは、ザック・エフロンゼンデイヤによるロープを使った、"Tightrope" というナンバーのシーンがあるが、こゝは、とても浮遊感の定着した美しいシーンになっており、CGかどうかは判然としないのだが(多分、使われているのだと推測しますが)、これ見よがしでない、という意味で、このようなコンピュータ処理こそ、最も幸福なデジタル技術の活用と云えるのではないだろうか。

 また、ミシェル・ウィリアムズや娘達の聡明な描かれ方にも感動するが、ヴィクトリア女王の対応などでも目頭が熱くなる。この女王謁見シーンは良く出来ていて、こゝで登場するレベッカ・ファーガソンが、後ろ姿から振り返る演出であることろがいい。ファーガソンは出番全体において、とても美しく撮られているが、特に "Never Enough" の歌唱シーンのファーガソンへの照明は突出感がある。ただし、このシーンでジャックマンとミシェル・ウィリアムズの視線を挟み込むのは良いとしても、エフロンとゼンデイヤの接近をエフロンの父母が見咎め、さらに、エフロンが意識して離れる、という幼稚な演出を挿入するのは、私は白ける。ファーガソンをもっとじっくりと見たかったのだ。せっかくの美しい歌唱シーンが、ごちゃごちゃし過ぎだ。例えば、これが、ジュディ・ガーランドであったなら、こんな編集はあり得ないだろう。この編集は、ファーガソンの歌唱が吹き替えであることも無縁ではないと思えるが(本人の歌唱であれば、もっとじっくり聞かせるのではないか)、性急過ぎる繋ぎの弊の、顕著な部分だと思う。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)ぽんしゅう[*] 3819695[*] けにろん[*]

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