[コメント] アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル(2017/米)
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これが今の世であれば、SNSで世界中に自己弁護のコメントを発信するところだろうが、トーニャ・ハーディングのスキャンダルが起きた'90年代前半はまだテレビやラジオ、新聞等の「力」が今よりも強く、マスメディアによってひとたび醸成された世論の風向きを、風下にいる側が変えていくことなど到底できない時代だった。もとよりトーニャには、離婚を繰り返しては娘にDVをふるうヘビースモーカーの毒母ラヴォナのもとで、臭うような貧しい暮らしの中から成り上がってきたという「自分ではどうしようもない」苦々しい出自のストーリーがあり、アッパークラスへの強い憧れや周囲から蔑まれ否定されることへの憤りが、選手としてのモチベーションになっていたと映画は語る。悪態をつきながらも、タバコの吸い殻をスケート靴のブレードで踏み切って、練習へと戻ってゆくトーニャ。この映画のテーマを最も象徴するシーンだ。だが、「自分に染み付いてしまったもの」を完全に断ち切りたいトーニャの夢はかなわない。家では、母親に代わって今度は夫から暴力を受ける日々が始まる。スケートの世界では、得意なジャンプの技術だけでは評価してくれない審査員にケチをつけ、素行の悪い選手として認知されてしまう。そして、ここから後の出来事が有名な「ハーディング事件」になっていくわけだが、冒頭インタビューのタバコの煙から映画の後半に至るまで、トーニャに「染み付いてしまったもの」を(ハーレイ・クインの狂気漂う)マーゴット・ロビーと共に「吸い続けてきた」観客には、記憶の中にある例の事件と、この映画で描かれる事件はもはや同じものたりえない。そして、まさしくそれこそがこの映画の目指すところであり、かつてマスメディアが興味本位で書きたて「葬った」人物に対する、映画というもう一つのメディアによる「再生」のためのユーモラスな墓荒らしなのだ(トーニャがそうであったように、「自分ではどうしようもない」環境で育ったがゆえに、社会と共生できず苦しむ多くの人々たちの「再生」でもある)。
なお、この映画ではトーニャと元夫ジェフの証言に食い違いがあったり、母親ラヴォナの所在が分からず取材できなかったことから、誰の主張を真実とするかを観客に委ねるために「第四の壁を破る」ショットを積極的に用いている。これは作り手の制作スタンスを示すのはもちろん、過激なDVシーンの続く息苦しさを適度にほぐして、コメディタッチを醸成する点でも功を奏していると思う。
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