[コメント] リチャード・ジュエル(2019/米)
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アルフレッド・ヒッチコック『間違えられた男』において、ヘンリー・フォンダは強盗犯と見た目が似ていたらしいことから罪を被せられそうになるが、『リチャード・ジュエル』のポール・ウォルター・ハウザーはそのような真犯人との視覚的類似を持たない。ただ「犯人像」との類似があるばかりだ。したがって、当然のごとく、演出家は「犯人像に適う英雄」ハウザーの造型に最も力を注ぐことになるだろう。実際、彼のようなキャラクタの類例を即座に探し出すのは難しい。強いて云えば、その「無垢な厄介者」性はアッバス・キアロスタミ作品の傍役と通ずるところがあるだろうか。サム・ロックウェルが説く道理を聞き入れた風でたびたび背き、自らを陥れようとするFBI捜査にも法執行官への憧れとシンパシーから積極的に快く協力してしまう。かような男の切ない滑稽を炙り出すあたりの差配は入念かつ余裕綽々である。
ハウザー側の人物は総じてよく演出されており、ロックウェルやキャシー・ベイツはもちろんのこと、ロックウェルのパートナーであるニナ・アリアンダのような人物造型・配置からは盤石たるアメリカ映画の薫りが漂う。登場シーンはごくわずかながら、ハウザーの友人で「同性愛関係の共犯者」を疑われるニコ・ニコテラも通り一遍のおざなりな存在として処理されていない。一方、オリヴィア・ワイルドやジョン・ハムに施される演出はいかにも省力的だ。これが作品のウィークポイントであることは否定しないが、冤罪の不条理性・戯画感を増強することにかけては必ずしも不味い仕業ではない。
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