[コメント] シン・エヴァンゲリオン劇場版(2021/日)
私たちは、あの時以来、シンに補完されたのだろうか。逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。この言葉はあの時を経て変質したのだ。私たちはまたしても絶望すら忘れて、「シンジ」に全てを負わせていないか。シンの補完は、ここ、リアルで行われるべきなのだ。虚構と現実の渚、絶望と希望の相補が行われる、まさにここで。巻き戻せなくても、続けることはできる。連弾の反復練習のように、少しずつ上手くなる。少しずつ、少しずつ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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『シン・ゴジラ』以降、この人のアクションシーンを観ると、涙が流れてしまう。狂気じみた物量、多分整合のついていない説明。ただ、根っこは明晰にシンプルだと思う。
絶望の補完を否定する。世界は説明できない(説明の意味がない)ほどにカオス(現実のような虚構、虚構のような現実。「あの時」の影響は明白)、しかし絶望はするな。それが不可逆のシナリオだとしても、まだ残された人がいるから。前に進もうとする人の歩み、それだけは確かだから。絶望と希望の両輪たるエヴァで落とし前をつける。エヴァを否定しつつ肯定する。ただ戦って、ただ生きるだけだ。絶望と希望の相補によるシンの補完。逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。お前は逃げていないか。逃げてすらいないんじゃないか。稚拙でも剥き出しの想いがある。本当にこれで終わりだろう。多少の悪意と私小説的私物化はあっても、そこに嘘は感じられなかった。中盤の大空中戦は真に圧倒的。
以下、某作の致命的ネタバレ。
庵野さんが『シン・ナウシカ』を撮らない理由、これが一つの答えなのだと思う。巨神兵で絶望の補完を否定する。「新しい人類」のたまごを焼き尽くす。カオスのままに黄昏の世界で生きていく。師匠はこれをどう観るだろうか。
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