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[コメント] ゴジラ-1.0(2023/日)

浜辺美波 vs ゴジラ
ロープブレーク

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







浜辺美波が最強だった。

縁もゆかりもない子どもを引き受け、男の家に転がり込み、死を安易な解決として否定し、「生きろ」と男・神木隆之介を叱咤し、パンパンになれという安易な言葉を拒絶し銀座でOLの仕事を見つける、ガツガツせずとも自然体で生に前向きな浜辺美波。 乗っている電車をゴジラに食われ、懸垂で食い下がる浜辺美波。下に海を確認して手を離してダイブし海中に落下しても陸に上がって平然と道にあらわれる浜辺美波。 爆風で飛ばされ死んだかと思いきや、神木隆之介の前に再び現れる浜辺美波。生に前向きというより生そのものの浜辺美波。

まるでマーベルヒーロー/ヒロインばりの無双ぶりに、ゴジラとの対比の図式が脳裏をよぎる。

今回のゴジラは、太平洋戦争で意味を見出せずに死に至ったたくさんの日本兵を象徴している(劇中、こっちの世界に来いと神木隆之介を呼ぶ存在として語られるシーンがある)。

死の象徴ゴジラvs生の象徴浜辺美波

男は死の物語に惹かれ絡め取られがちな性向を持つ。それは戦後も変わらない。それを思いとどまらせるのが女という存在である。

この図式は時代錯誤なマチズモなのか? それとも何らかの真理を持つものなのか?

「あなたの戦争は終わりましたか」と、復活した浜辺美波は神木隆之介に言う。このシーンは逆説的に、我々がまだ太平洋戦争の影響下にある日々を送っていることを浮かび上がらせる。55年体制は形を変えて健在で、ソ連の脅威だってロシアに名前を変えただけとも言える。

戦争は時代錯誤なマチズモであり、その影響下の日々が続いているが故に、死の象徴ゴジラvs生の象徴浜辺美波の図式は成立し、ゴジラは死なない。

死の象徴が死ねずにいるのが戦争の主体たる国家の宿痾であり、その構造が生の象徴としての女という凡庸を量産し続ける。

前日譚は、初代ゴジラがあってこそ機能する。ゴジラは殺しても死なないことが、本作ではタイトルの時点で運命づけられている。

それは「ゴジラ-1.0」という時代設定の必然であると共に、そのような設定のゴジラ映画が令和の新作として創られてしまうこの国の、そして世界の現状を表しているのではないか。

そんな妄想を、浜辺美波がまるで綾波レイのような包帯姿で病院に復活したのを見たときに抱いてしまった。シンヱヴァで、綾波レイは量産型であることが明らかになったが故に。

シン・ゴジラの後に、綾波レイを登場させた「ゴジラ-1.0」。それは、庵野監督へのオマージュを超えて、今も国家にマチズモが健在であることを浮かび上がらせてしまったのではないか。

そんなことを考えた。

追。吉岡秀隆安藤サクラのキャスティングは、昭和を令和につなぐのにふさわしい人物造形を促し、凄く良かったと思う。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)ぽんしゅう[*] 死ぬまでシネマ[*] 緑雨[*] ふかひれ けにろん[*]

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