[コメント] 地獄の警備員(1992/日)
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これはパクリではなく、換骨奪胎である。たとえばエイリアンが醸成するホラーを宇宙船内部といったSFの舞台ではなく、日常、それも我々の現実のど真ん中で醸成することはできまいか? という発想から始まっている。舞台を日常にした時点で一つ親から逸脱したと同時に、会社という設定自体にも仕掛けがある。つまり、新入りのOLにとっては会社そのものがホラーであるという、現実の人間関係の暗喩が込められている。
次に、クリーチャーをどうしますか? という問題が待っているわけだが…“売り”として用意した日常という舞台は、極めてデリケートな代物で、そこに真顔でクリーチャーを持ち込んでしまっては、せっかく『エイリアン』から逸脱しても、瞬く間に『ターミネーター』に回帰してしまう。というわけで、日常の輪郭を崩さないようなクリーチャーが要求される。答えは一つ、限りなく人間離れした人間である。そして演出のテーマは、人間の輪郭を保ちがら、いかに異形に見せるか? となる。
この段階で、既存のクリーチャーものの演出がそのまま実戦されるだけで、見事なオリジナリティーを獲得する。あのヒロインが“地獄の警備員”の巣に近付いていくシークエンス! 目を凝らせばジョンカペ辺りまんまの演出にもかかわらず、独特の不気味さがある。それは非日常そのものではなく、日常と非日常の境界線となっていたからこそ不気味だったのだ。或いは、素晴らしかったのは、テレックスを打った男が椅子の下に隠れていたところを、“地獄の警備員(めんどいな、この呼び名)”が見つけ、半殺しにした後! 壁に、帽子を被ったヤツのシルエットだけが浮かぶ! 怪物通り越して、怪獣のそれ。でも、人間のそれというのが、逆説的な怖さとなっている。
とにかく、殺し方のバリエーションが執拗なまでに追求されていたところに意気込みを感じた。わけても凄かったのは、ロッカーに押し込めての圧殺だろう。想像すれば、するほど怖い。他に、個人的に嬉しかったのは長谷川初範の役所。行動力や機転が後半の重要なアクセントとなっている。そして何より、ヤツの大きさ、存在感そのものが良かった。『フランケンシュタイン対地底怪獣』のフランケンシュタインに通じるものを感じた。
ただ、難点が二つ。
制帽にロングコートって言ったら、どうしたって加藤を思い出しちゃうでしょう? せめて腰辺りまでのコートじゃ駄目だったんでしょうか? 襟にフサフサがついたやつとかなら、ボリューム感も補えたと思うんですが。
それから最後のヤツの台詞は、個人的にはいただけなかった。ホシヒコ氏が書いておられる様な奥深さは絶対にあると確信するが、見ててそれを感じ取れる類の観客にとっては、その内容は上に書き連ねた演出だけで十分伝わってくるものだった気がした。にもかかわらずヤツに台詞を喋らせ、ヒロインの恐怖をすっ飛ばして、また台詞で共鳴させたりする部分に、監督の弱さを感じた。『CURE』も『回路』もそうだった。黒沢清の異世界、異形に対する感受性は正しいと思う。でもこの人は、何故かそれを決定的な部分で理屈に書き下してしまう。その理屈が、自分にはどうにも浅く感じられる。自らの可能性を自ら圧迫しているとしか思えないのだ。
ラストのヤツの「俺を理解する勇気はあるか?/俺を忘れるな!」も、それに対するヒロインの刹那の共鳴も、表情一つで表現させたら、どんなに素晴らしいかと思う。
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