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[コメント] 幸福〈しあわせ〉(1965/仏)

4+1-1という数式がまるで生物学の公理のように無慈悲に適用され、零れ落ちる残酷は黙殺される。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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この物語構成は画期的だろう。木陰の家族団欒の構図、クレール・ドルオーが横座りしていたその場所にマリー・フランス・ボワイエが座るショットは鈍い衝撃がある。炙り出させたパターンの構図は動物行動学を想起させるものがあり、それも蜂とか蟻とかの女王交替のレベル、猿のボスの交代劇でももう少し周辺に波風が立つものだろう。だからジャン・クロード・ドルオーは殆ど人間じゃない。

悪魔的な人物を平凡な生活に放り込むという主題は『プラーグの大学生』以来のもので、60年代当時、ベルイマンやパゾリーニらによって反復されて一大ブームだったという印象がある。そんななか、本作の巧みな処は、ジャン・クロードを(ヌーヴェルヴァーグのタッチで)リアリズムの人物として提出したことにあると思う。彼はある種の博愛主義である訳で、悪魔からほど遠い存在のはずだが、しかしやはり悪魔なのだ。彼の余りにも真っ直ぐなために屈折しているという存在自体が本作を際立たせている。

彼は中世的な重婚OKの反時代的な常識を身に纏っていると見える。始終流れるモーツアルト(クラリネット五重奏曲)もこの感想をいや増しにするものがある。おそらく作品はフェミニズムに立脚しており、重婚が男性にだけ許された因習が今なお残っている家族制度の片務的な不条理に対する告発があるのだろう(マリーは巧みに罪を逃れる作劇にしている)。

妻と妾を天秤にかける作品は数多あるが、大抵が板挟みの男の心理描写(云い訳)に大半が費やされる。彼等は自分がなぜジャン・クロードになれないのか、ふと考えたりするのではないだろうか、という意味で、本作は本能的な男性原理を画面にぶちまけた具合である。シルヴィー・バルタンほかの壁に貼られたポスターがたくさん出てくるのもこの主題を強調している。男は美人を見たら誰でも同衾したがるものだが、女はそうではない(らしい)。本作の男女が逆転した設定はちょっと想像しにくい。

残酷はクレールが溺死するショットにだけ凝縮される(このサブリミナル効果の先駆のようなショットはアタマの向日葵ほかで繰り返され、このクライマックスに向けて周到に準備されている)。手元にあった森卓也氏の評論がとても面白いので勝手に引用します。この溺死のショット、沈みゆく彼女は助けを求めるかのように手を中空に振り上げている。このため公開当時、これは自殺ではなく事故死ではないのか、という論争があったらしい。森氏は反論して曰く、これは死んだ妻を抱き起こすジャン・クロードの反復ショットに挟まれているのだから、彼の主観でしかない。事故死との理解は彼の想像なのだ、と。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)ひゅうちゃん Myrath ぽんしゅう[*] けにろん[*]

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