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[コメント] ナイト・オン・ザ・プラネット(1991/米)

本作はジャームッシュが5大映画都市に捧げたオマージュである。
町田

LA編のストーリはハリウッドに対するジャームッシュの姿勢そのものであるし、ローマ編に於けるカトリック的モラルと俗人物の対比はパゾリーニに通じるものがある、と気付きまた、NY編には黒人と移民以外登場させず、パリ編には怪しげな色気を取り込み、ヘルシンキ編では死生観に言及しているのが、如何にも「かの地の映画らしい」などと、洋画名作とは縁の薄い自分なりに感じて、こんな仮説を立ててみた。

この仮説に従えば、ジャームッシュは舞台を欧米に限定したというよりは、映画先進国に限定したという方が正しく、それだけに最終的に選ばれたアメリカ2ヨーロッパ3の合計5都市は順当といってよかろう。

では何故日本(東京と京都)や中国、香港という映画都市が選外となったかといえばそれは、著しい発展のため都市の独自性が見えにくくなっているため(ジャームッシュが銀座でなく浅草界隈で遊ぶことを知っていたら!などと嘆くのは余りにも酷だ)であろうしまた、予算の都合や撮影許可の問題などの現実的障壁も考えられる。しかし東京下町や京都、香港や上海なんかを舞台とすればどう考えたって面白くなりそうである。

タクシーとは縁深いとされるロンドンは、探偵趣味一杯に描かれることが望ましいが、それは明らかにジャームッシュの作家性とは不一致で、残念ではあるが選外は当然と云える。

ベルリンは、当時のトム・ウェイツの音楽性と照らし合わせてみてもロケーションとしては絶好で、タクシーに乗り込んでくるサーカスの一団など想像しただけでも面白いのだが、友人ヴェンダースの作品との類似化を畏れれば選外も致し方ないかも知れない。

ならばプラハはどうだ、と考えてみると、カフカ似の運転手の不条理話とか、トム・ウェイツ扮する人形遣いとか、雰囲気が抜群なところだけに相当面白くなりそうである。が、プラハは映画都市ではない。選外である。

やはり順当なのであるこの映画。順当過ぎるくらいだ。

しかし、こうして厳選した都市を、カッチリとした構成でバランス良く並べ立てたところで、作品全体の訴求力が倍加するわけでは、必ずしもない。減退する場合だってあるのだ。

ジャームッシュの映画への愛は彼自身を束縛しているように思える。そこが彼の最大の長所でもあるのだが。

(再見&渋谷シネマ・ソサイエティ/ピーター・バラカンのトーク付き)

(評価:★3)

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