[コメント] ディア・ハンター(1978/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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この映画どうだった?、と聞かれるとズバッと答えるのがなんとも難しい映画だ。 5点を付けると俺の中の誰か(おそらく政治関連)が猛烈に非難する。だからと言って1点を付けるとやはり俺の中の純粋な映画派が文句を垂れる。
これでは委員長辺りが辞任するしか無いのか?(あまりにも期間限定ネタ)
さて鹿狩りをしていたお気楽な連中、自分達が逆の立場に立たされベトナムのお気楽連中に いいようにもて遊ばれる。そんな経験をして(初めて)目が覚めるっていうかお気楽な仲間ではなくなる。というのが雑なあらすじだとするとこの映画の脚本のベースは当時の国内世論を反映した物に感じた。
例えば前半部分のバカ騒ぎは第二次世界大戦以降の超好景気のアメリカ国内の浮かれ具合を表現。 鹿狩りは中東、アジア弱小国(←鹿です)などへの無意味な関与、鹿への「one shot」は いざとなったら核ミサイル一発で黙らせれば済むと思っている政府への皮肉(のつもり)。 しかし逆の立場に立たされるとどうなると思っているんだ?自分達も「one shot」で殺されるぞ! ・・・という警告(かも)。そして浮かれていた米国内の連中にも暗い影が訪れる・・・と。 (あくまでも当時の米国内の一般的な{偏見も含む}政治認識として書いたつもりです)
上記の解釈はこの映画の出来から推測するにはあまりにも安直な政治批判ではあるが 作られた時代は1978年。東西陣営が核ミサイルで向かい合い、いつ第三次世界大戦が始まっても おかしくはないと言われた時代だ。
米国を「強大な武力と金で相手の事を考えもせずごり押しするジャイアン系」と 思っている人が世界中にいるように米国内にも米政府を(主に共和党系を)そのように 感じている人が沢山いる。 どうもこの映画を作った人の脚本にはこういった匂いがしてくるのだ。 つまり反戦映画や友情映画というより反アメリカを謳った映画ではないのか? (最後の歌はそういった人達への皮肉)
そう考えるとベトコンやルーレットは「映画を盛り上げるツール」と割り切っている様に思える。 米国外の反アメリカの人達に受けが良さそうに当人は作ったつもりが逆に典型的アメリカ人監督として 切って捨てられたのは本望ではないはずだ。 逆に「興味がある」部分、つまり音楽の使い方、映像の色へのプロフェッショナルぶりは 完璧。そして上記の政治的主張を上手く包み隠し一つの話として 成立させた脚本(実はこれが上手すぎたせいで意図が伝わりにくい)も素晴らしい。
それともう一つ。気弱なくせに強がってピストルを携帯し仲間からバカにされるスタン。 彼こそが現状のアメリカだと仮定すると彼の行動、台詞が全てそれらしく聞こえてくる。 そういう意味でこの映画の影の主役はジョン・カザーレだと思うのだ。そしてそのスタンに 静かな怒りをぶつけるマイケル。これが監督の言いたい事ではないのだろうか。
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