[コメント] 処女の泉(1960/スウェーデン)
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ドラマツルギーの「正解」ってあるじゃないですか。 ハリウッド的であれば主人公=正義は必ず勝つか報われるとか、日本的であれば何か教訓があるとか。 この映画はどっちでもない。
被害者である少女がいい子かって言われたら、そういい子でもない。 彼女を貶めようとする妊婦の侍女も、そう悪い奴でもない。せいぜい呪ったりパンにカエルを挟んだりする程度(たぶんこのカエルにも何か意味があるんだろうけど)。 父親の復讐劇が正当かって言えば、無実の子まで殺しちゃう。そもそもこの父親が無理に出かけさせたのが原因なのに、そのことは決して口にしない。 母親にいたっては、娘を溺愛してんのか嫉妬してんのかもようワカラン。 そもそも、敬虔な信者であるこの家庭に襲いかかる不幸があまりにも理不尽なら、果ては「娘の死体のあったこの場所に教会を建てます」と言ったとたんに泉が湧いてきちゃって教会なんか建てられねーじゃん!という理不尽さ。 もう何が正解なんだかワカンナイ。
「勧善懲悪」や「教訓」といったドラマツルギーに慣らされた身体には気持ちの落ち着き所がないのですが、本来的な物語の豊かさとはこういうもんなんだと思います。
日本のドラマツルギーは教訓的だと書きましたが、本来、日本古来の民話は教訓的なんかじゃなかったのです。その民話を明治政府が学校教育的な“昔話”に作り変えてしまった。極論を言えば、明治政府は日本人の教育と道徳観を上げるために豊かな精神性を捨てたのです。
ベルイマンの映画は「神の沈黙」などと言われますが、宗教的な何かを抜きにしても、民話的なんだと思うのです。 それは、学校教育的な“正解”でもなければ、ハリウッド的な“白か黒か”でもない。豊かな物語性、豊かな精神性であり、正解がないが故、考えさせられるドラマなのだと思うのです。
(13.07.20 渋谷ユーロスペースにてデジタルリマスター版を鑑賞)
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