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[コメント] ファンタスティック・プラネット(1973/仏=チェコスロバキア)

ドラーグ人の丸い目の赤さと皮膚の青さが幻覚的に目に沁みる。小動物としての人類を見下ろす視点が新鮮。前半は、頭上を覆う圧倒的存在に「飼われる」感覚がどこか倒錯的・家畜人的な心地好さを感じさせるが、人間が人間らしくなる後半は急に退屈。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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人類メインの後半でも、例えば決闘シーンでは、パックマンを凶暴にしたような奇怪な「闘獣」を体に巻きつけられての闘いという異様な行為が、彼らの習慣として自然に描かれているのが却って新鮮。だが、かなりドラーグ人メインの前半の、奇妙な瞑想などの「日常生活」が、人間を見つめる犬猫の視点のような主人公のテールの視点から捉えられる不思議感覚と比べると、概ね想定内の原始人的生活ばかりが描かれる後半は飽きてくる。尤も、ここまで人間のことがどうでもよくなり、青い肌の異星人に肩入れしてしまう体験というのも珍しく、その点では『アバター』の上を行く。

そもそも人類の描かれようがあまりに非個性的なので(惑星の風景の方が、はるかに強烈に個性的だ)、彼らが主体になっても全然面白くない。テールが、成長して自意識を得てしまうのも、後半の凡庸さに拍車をかける。異貌の女の子の着せ替え人形的なペットにされるという、気持ち悪いような気持ちいいような不思議な感覚から、ありがちな人類解放譚に傾斜してしまうのが詰まらない。

ドラーグ人が機械を用い、害獣駆除として人間どもを楽々お掃除するシーンは、「人がゴミのようだ!」というムスカ的美学の芸術的結晶。ワラワラと湧く虫のように矮小な人類。掃除機で吸いとられるシーンなど、殆ど吸いとる側の視点で観てしまう。謎の光線を当てられた人間が瞬時に倒れて死ぬところなど、後の『宇宙戦争』(スティーブン・スピルバーグ監督)で全く同じようなシーンがあったことを想起させられる。スピルバーグは完全に人間側の視点でそのシーンを撮っており、人間があっけなく抹殺される光景は戦慄マックスの恐怖シーンだったが、視点を上方に移すだけでまるで印象が違うのが面白い。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)ゑぎ[*] DSCH[*] CRIMSON 3819695[*]

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