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[コメント] マイライフ・アズ・ア・ドッグ(1985/スウェーデン)

いきなりですが、レビューは余談です→
林田乃丞

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 この映画のラストにラジオ放送されるボクシングの試合に、主人公と同じ「イングマル」という名のボクサーが登場する。スウェーデン人には解説不要な国民的英雄だが、この映画を語るうえで彼のキャリアを知っておくとさらに物語が味わい深いものになると思い、紹介したい。

 この映画の設定から8年遡った1952年、イングマル・ヨハンソン(=専門誌では「インゲマル・ヨハンソン」と表記)はボクシングのスウェーデン代表としてヘルシンキ五輪に出場する。当時アマチュアで優秀な成績を収めていたヨハンソンには、隣国フィンランドでのオリンピックということもあって大きな期待が寄せられていた。だが、ヨハンソンは金メダルをかけたエド・サンダースとの決勝戦に敗れてしまう。さらに悪いことに、この試合におけるヨハンソンの試合ぶりが「逃げてばかりでスポーツマンライクでなかった」と判断され、せっかく手にした銀メダルでさえ剥奪されてしまったのだ(30年後の1982年にこの判断は覆され、改めて銀メダルが授与された)。この事件によって、ヨハンソンはたちまち国辱者扱いされてしまう。失意の中でスウェーデンに帰国したヨハンソンには多くの罵声が浴びせられたそうだ。

 その後プロデビューし、順調に勝ち星を重ねてヨーロッパのヘビー級タイトルを獲得するまでになったヨハンソンだったが、国民はすでに彼に対する興味を失っていた。勝っても勝っても大きな試合が組まれないという不遇の時代を過ごすことになるのだ。

 そんなヨハンソンにようやく世界タイトルマッチのチャンスが訪れたのは、デビューから7年後の1960年。チャンピオンは米国で絶大な人気を誇るフロイド・パターソンだった。

 当時ヘビー級の上位選手はほとんどが黒人で占められており、白人が世界タイトルに挑戦することすら難しい時代。北欧出身のヨハンソンはいわゆる「噛ませ犬」として、パターソンのキャリアを彩るためだけに指名されたというのが現実だったのだ。スウェーデン人がボクシングの世界ヘビー級タイトルを獲得することなど、夢のまた夢だった。

 ニューヨークのヤンキースタジアムで行われたこの世界タイトルマッチこそが、『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』のラストシーンでラジオから流れる試合である。現地ブックメーカーの賭け率は「5-1」の圧倒的不利。しかし、この試合でヨハンソンはパターソンに7度のダウンを与えて圧勝する。「北欧の恥かき者」とまで呼ばれたヨハンソンがついに世界の頂点に立った瞬間だった。

 現在でもこの試合は、スウェーデンのスポーツ史上においてもっとも重大な事件のひとつとして語り継がれており、彼こそがスウェーデンの少年たちにとって永遠のヒーローなのだそうだ。

 この映画が小さな主人公に国民的英雄の名を与えた背景に思いを馳せると、物語の暖かさがより伝わってくるのではないだろうか。

(評価:★5)

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