[コメント] レベッカ(1940/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ヒロインの名前がない・・・昔、畑中佳樹の本の中でそう指摘されて、びっくりした記憶がある。
この映画のヒロインはご存じの通り「レベッカ」ではない。そう。映画の中では、結局一度も出てこない前妻「レベッカ」の名は常に意識される一方、ヒロインの名は(あえて)隠されている。
隠されていることなら他にもある。最初からどうも疑わしいのは、ド・ウィンター卿が、このヒロインのどこが気に入って妻にしたのか、ということ。それも私たちにはずっと隠されている。
彼に関してわかる事実は、かつてレベッカという支配的な妻を持っていたということ。とすると彼の結婚は、かつて妻に「支配されていた」男が、今度は新しい妻を「支配した」という意味を持つのかも。ヒロインがどんなに魅力的な外見と純真な性格を持っているにせよ、彼女はド・ウィンター卿と似合いの身分、教養、立ち居振る舞いをもった女性ではない。そう、ちょうど、マンダレー屋敷の召使いたちがそう思ったように。彼女の性格の弱さは当初から明らか。あの、壊れた陶器を引き出しに隠すシーン。あの魅力的な場面を思い出す。意識していたにせよ無意識のうちにせよ、彼は彼女を「支配できる」と思っていたはずだ。
それはもちろん、彼の弱さでもある。
昔から私は、昔話の王子様たちの妻の選び方について疑問を持っていた。たとえばシンデレラ姫の王子なんかを考えてみる。王子たちは、ほかに選択肢がなかったわけでもなかろうに、どうしてあえて、身分の低い妻を選ぶんだろうか。もちろん恋の魔法にかかったのだ、とは言えるし、それぐらい彼女たちが魅力的だったのだ、とも考えられるだろう。でも、もしかして、すべてに恵まれている王子の、隠れた反抗心が、配偶者の選択という形に現れたのではないかな、と思ったりする。そしてそしてもしかして、彼は自分と対等であるような妻を好まない、弱い性格だったのでは?などと・・
まあ、昔話を題材にすると、想像ばかりで検証のしようがない。でも、この「レベッカ」は、こんな想像をしても、あながち暴論とは言えないのでは?
そして、妻を「支配したい」感情は、彼にはじまった話ではないだろう。すべての男性は、などと一般化するつもりはないが、十分ありうる感情であり、そして実際にたくさんの男性が女性を支配し、女性は支配されてきただろう。
そこでこのヒロインの名前がない、という事実をもう一度思い出してみる。
ヒロインの名前がないのは、ヒロインが、すべての女性を表す隠喩だからでは? すべての女性が「支配される」存在だということの隠喩なのでは? とすると、ヒロインが、後半の裁判の中で徐々に強さを発揮し、気弱な夫ド・ウィンター卿をリードするようになるのも、同じようにすべての女性の姿だ、ということ?
いずれにせよヒロインは裁判に勝ち、レベッカ(の象徴たるダンバース夫人)に勝ち、夫を真の意味で手に入れるのだ。めでたしめでたし・・
・・と言えるのは、ヒロイン(すべての女性)の立場からであって、夫の立場からは、果たしてどうでしょうね?
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