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[コメント] シャイニング(1980/英)

原作があるからといって原作頼りに帰依するのではなく、しっかりと自分の意志を持ち自分の自己解釈をする。これが原作を映画化するために一番必要な事ではないだろうか。映画の基礎をしゃぶり尽くすかのように学んだ男の一大プロジェクト。
ジャイアント白田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







原作者の不満も分からんではないが、字と映像の違いが分かれば分かるほどに、この作品が映画『シャイニング』であるように思う。作家は字を紙面に埋め尽くし、その文字が読者の想像力を引き出させていく一種の“洗脳”プログラミング作業をしている。そして映画などの映像分野は映像が字を担い、それが鑑賞者をダイレクトに世界に“催眠”的に惹きつける。この小説=想像と映画=映像の立場を理解した上で、スティーブンキングは憤りを感じていたのだろうか?

圧倒的映像センスと、卓越したストーリー展開を要して完成させたこの作品。後世に残し、後世に伝えられなければいけないのに、現在のこの原作ありきで、自己解釈もしないで創るお手軽ムービーブーム。現在の芸術家なき映画界を見て「映画は原作の単なる説明や、補足であってはならない。映画は映画なのだ」と語り嘆き苦しむスタンリーキューブリックが天国に絶対にいると感じる。

映画として成立させるのに足かせとなり無駄になる箇所を大胆に切れる男がキューブリックであり、映画監督なのだ。原点に帰って原作頼みの映画を制作するべきではないのだと見て強く思う。

2003/1/29

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少々蛇足だが、見事にコケた監督市川崑『天河伝説殺人事件』の原作者である内田康夫は、映像と小説の違いを理解しているので、憤りをあまり感じないそうだ。

『天河〜』と違ってヒットしてんだからスティーブンキングも、その辺を考えてくれたら良かったのに。ま、自分で再び[製作総指揮・脚本]として1997年に創ったからその憤りは凄かったんだろう。が、説明しすぎの“語る映画”になってしまったのに本人は気づいているのだろうか?

“映画”は1980版だというのを決定づけてしまったのに気づいているのだろうか?

(評価:★5)

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