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[コメント] 幻魔大戦(1983/日)

当時はこれナウかったのよ。ナウかったのよ。
ペンクロフ

いやいやいやいや、本当にひどいもんだ。冒頭から暗黒舞踏みたいな狂言回しの御託を延々聞かされてたまらない。ありゃいったいなんなんだよ。病的ですよ。気分悪いよ。

お手軽な終末観、底の浅い宗教体験、ダサダサ透過光の超能力、行き当たりばったりのコンテ。しかしねえ、今の人には理解されまいが、当時はこれナウかったのよ。ナウかったのよ。

選ばれし超能力者たちが絶対悪と戦い地球を救うというのは、有体に言って陳腐な物語だ。それでも、抜かりなくやれば観られる代物になったかもしれないのだ。それがこの映画ときたら、全編穴ぼこだらけだ。観客からしたら王女ルナが宇宙意思フロイのお告げを聞く場面なんて、いや全編に渡ってそうなのだが、あーはいはいデンパの人でしょってなもんである。それがデンパではなく真のお告げであると納得させる力が、この映画にはない。作り手自身がデンパの中にいて無自覚だから、独りよがりなヨタを物語にまで高めることができないのだ。時代がそうだったのだ、あの無自覚な時代の中で、平井和正でさえ新宗教にハマっていたのだ。幼稚な思索を弄んででっちあげた底の浅い宗教観が、大手を振ってまかり通った時代だった。

オウム事件以前と以後で、新宗教に対する世間の認識は大きく変わった。しかし『幻魔大戦』をオウム以前のデンパアニメと分類して事足れりとは、オレは思わない。オウム事件以前の1988年に公開された『AKIRA』も、超能力を扱ったアニメーションだ。『幻魔大戦』にできていないこと全てができている『AKIRA』のようなアニメが存在する以上、これはただ単に『幻魔大戦』は幼稚だったが『AKIRA』には見識があったとだけ考えたい。フィクションの大風呂敷を広げる以前に、前提となる見識、ウソをホントに見せるための物差しが『幻魔大戦』には決定的に欠けていたのだ。

平井和正はこの映画で大友克洋がデザインしたキャラクターを見て、「東丈がデコっぱちにされた」とおかんむりだったそうだ。『AKIRA』を知ってしまった後世の我々としては、てめえなにコノヤロー大友先生にふざけたこと抜かしてんじゃねえぞタココラと思わざるを得ないのだが、まあこれは後出しジャンケンになるからあんまり言うと大人げない。

それにしても『幻魔』公開は1983年。翌年の1984年には『ナウシカ』『ビューティフル・ドリーマー』『マクロス』でアニメーションのビッグバンが起こる。『王立宇宙軍』1987年、『AKIRA』1988年。たった数年で凄い進化がアニメーションに起きていたのだ。なんだかんだ言っても、80年代は刺激的な時代でしたよ。

(評価:★2)

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