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[コメント] カリスマ(1999/日)

世界を「終わり」から眺める視点。そこから、世界を笑いとばす「ユーモア」。笑え笑え

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「どんな事柄も、終末の側から眺めれば、許しうるものになる。その終末の側から眺める視点をわがものにし、しかもその終末を与える決断をわが手にかかっていると感じること、それこそ私の自由の根拠であった」(三島由紀夫『金閣寺』)

藪池(役所広司)は、世界の「終末を与える決断をわが手にかかっている」カリスマになる。そして、同じく役所広司が演じる『CURE』の高部のように「自由」になる(癒し)。ラストの終末論的光景は、後の『回路』へと接続され、それでもなお‘生きなければらない意志’を麻生久美子の横顔に刻み付けた。

生きる‘意味’はない。必要なのは生きる‘意志’なのだ・・・。

「ねぇ、ちょっと見てごらん、これが世の中だ、ずい分危なっかしくみえるだろう、ところがこれを冗談で笑いとばすことは朝飯前の仕事なのだ」(フロイト『ユーモア』)

カリスマ』とは黒沢清のユーモアである。出鱈目なギャグなのだ。しかし、映画とは最初から出鱈目なギャグに過ぎないのではないか。‘リアル’の顔をした現実感などには目もくれず、ひたすら笑いとばすこと。さぁ、笑え!

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)DSCH ペペロンチーノ[*] 太陽と戦慄 crossage[*]

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