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[コメント] 座頭市物語(1962/日)

人間の愚かさが愚かさとして的確に描かれており、座頭市(平手も)という潔癖な人物の希少価値に惚れ込まざるを得ない。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 単純なチャンバラ活劇を期待して観たわけだが、あの「座頭市」の一発目が、きちんとした人間ドラマの中に位置づけられているとは、率直に言って驚いた。

 この映画は、「ヤクザ」という徒党を組んで世を凌ぐ人種を、ある意味残酷なまでにリアルに描いている。彼らは皆、ヤクザという渡世に身を置く限りにおいて、優秀である。親分の言い付けには素直に従うし、組の為に命を投げ出すことも厭わない。なにより、人間の見切りと状況判断の素早さにそつがない。

 だがこれらは、ヤクザである限りにおいて、でしかない。平手や座頭市の人物と比較すると、人間としての器の違いは歴然としている。端的に言うなら、ヤクザたちには、市や平手のどこをどう押せばどう反応するか、については想像できる(そしてそれほど外さない)にしても、そもそも彼らがどういう人物で、どういう想いを持っているのかはまったく見えていないし、見ようともしない。ヤクザとして生きていくには、それで十分なのだが。

 確かに、人間をこのように書き分けることが可能なのであれば、ヤクザは日陰者だとかボンクラだとか、台詞によって強調し、観客にイメージを喚起させることで描写不足を補う必要はない。これも驚きだ。

 こうした描写によって分かることは、市にも平手にも、この世に居場所はないってことだ。居場所のない者は、少ないけれどもこの世に確実に存在し、たまさか互いに出会ったときにのみ、心を通じ合わせ、安らぎを得ることができる。ただ、互いの立場も分かっているので、一般の友人同士のように、ただ会って、また別れる、という具合にはいかないことも分かっている。「友」と呼べる人間と、斬り結ばなければいけないなんて、私の貧困な語彙では「切ない」としか言いようがないが、切な過ぎる。

 もし私が判事なら(何の判事かはともかく)、こんな境遇にいる市が、仮に女(色恋の道)に走ったとしても、まったく問題がないと認める。だが市は女にも走らない。むしろ女から逃げていく。なぜなら、自分もヤクザだから・・・。作り手の、映画にかける凄みを感じさせる作品である。

90/100(2004/07/07記)

(評価:★5)

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