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[コメント] フェリーニの道化師(1970/独=仏=伊)

これは、わたしの持論なのだが、消費大国の子どもたちには、サーカスを観る"権利"があると思う。それが叶わぬことならば、『フェリーニの道化師』を、是非!
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道化師たち。わたしは、彼らを「境界人」と呼ぶ。《笑》と《泣》、《正気》と《狂気》、《楽観》と《悲観》、《構築》と《破壊》、《生》と《死》、「魂」あるいは「命」の掛け橋となる存在。イマを生きる子どもたちが、触れ得る機会が稀有なのは、そういう境界人の存在だと思う。

それほど数を見ているわけではないが、フェデリコ・フェリーニの映画世界は、そうした「魂」「命」が成り立ち得る天秤の先、その両価性のある「錘」を視野に入れつつも、きちんと「魂」「命」の老荘思想でいう「一」の道を貫いていると見る。

そして、勿論、その軸となるのが、「境界人」の存在なのだ。 本当の涙を知らない者が、本当の笑いを知り得るわけがない。狂気や悲観、破壊や死も然りであって、真なるそれらを知らぬ者は、真なる正気や楽観、構築や生を知り得る術を持たない。

涙、狂気、悲観、破壊、死、そうした世間的にネガティヴなイメージで捉えられる概念。それらと一緒に、その逆となる世間で言う"ポジィティヴ"なイメージで捉えられる概念が、生(ナマ)の感覚で共起し得るのは、現代では、サーカスしかないのである、というのが自論だ。

「癒し」が持て囃されつつ、そのくせ、ちっとも癒されていない人間ばかりなのは、そうした境界人との接触の記憶、境界人への畏怖の記憶がないからではないか、というのもわたしの持論だ。(*『モンスターズ・インク』のreviewでも似たようなことを書いたが。)

フェリーニのサーカスへの揺るぎない愛情と共に、この『フェリーニの道化師』は、幾分説明的で、逆説的に感傷過多なところもあるが、十二分にそのサーカスの魅力を凝縮して語っていると思う。

この作品を観て、記憶を甦らせたし。

笑え!歌え!踊れ!狂え!それを失ってしまったら、人間はクソ以下だ。ただし、そればっかりも…。

[video/3.14.02]■[review:3.16.02up]

(評価:★4)

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